再出発|ぬくもり3-25

 人間にとって、他人に本音を語ることが如何に難しいか、自分の胸に手を当ててみれば、誰もが例外なくすぐ思い当たるに違いない。毎日の生活の中で、反射的に口にする罪のない無意識なものも含めて、皆が一様に大小さまざまな嘘をついて生きている。嘘という言葉に抵抗があるなら、遠慮や礼儀、謙虚さや協調性と、体裁の良い表現に言い換えても構わない。それでも、人は殆ど本音を語らず、差し障りのない言葉を選んで、上手にそ…

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ワインの味|ぬくもり3-24

 ぐでんぐでんに酔っ払った客たちが、一人また一人と、右へ左へ体をふらつかせながら島から出ていった。今夜も、カウンターの中は、大量の皿や小鉢、ジョッキやお銚子などの洗い物で埋め尽されている。女将の島野香織は、看板の照明を落として暖簾を仕舞った。 「何か食べる?」 いつものカウンター席で、一番奥に座る永井譲二に声をかけたのだ。 「ああ。」 「焼きうどんでいいかい?」 「少な目でいい、頼む。…

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摩利支天|ぬくもり3-23

 白竜駅で任意での同行を求められた田所万作は、千穂の前では、狐にでもつままれたような顔をしていた。しかし、二十年前の改築工事にまつわる事情聴取であると告げられた刹那に、彼は、くるべき時がきたことを内心で悟っていたのかもしれない。妻だけを帰りの電車に乗せたのだ。心配いらないと笑顔を見せる夫に、千穂は動じることなくうなずいていた。万作ほどの男と連れ添うということは、こういう事態も十分に想定されるのだ…

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