カクテル|ぬくもり1-16

 こんなことをして何になる。翔太は直前まで、心の中でつぶやいていた。それでも、誘わずにはいられなかった。知って欲しかったのだ。肌で感じて欲しかった。あの日、彼女が「眼」の本を開いているのを見て、彼自身も彩音に強い興味をいだいたのである。より多くの人が障害者に関心を持てば、いつか、何かを変えられるのかもしれない。意識のどこかに、そんな大それた期待もあった。でも今は、彩音がどう感じるのか。それを聞いてみたかった。
「こんにちは!」
「よう、翔太!」「久しぶり!」
「えっ、翔くんなの!?」「ほんと!?」「まあ!」
「うむ?」「何で葵が立ち上がるのじゃ?」「乙女チックなオーラの意味が分からん!」
「あっ、由莉さん、葵さん。こんにちは!」
「うーすっ!」「相変わらず爽やかじゃのう。ほんに清涼飲料水のようじゃ。」
「もう!」「翔くんがちっとも来ないから、心配してこんなに痩せちゃったじゃない!」
「どこがじゃ!?」「去年の服がきつくて入らんと、さっきも嘆いておったではないか!」
「なっ、何の話かなあ。」「葵、ぜーんぜん分かんない。」
「だはははははっ!ほれ、この通り。お肉がたっぷり着いておるわ!」「翔太、ほれここ!」
稲妻のような葵のゲンコが由莉に落ちた。
「初めまして。」「神崎彩音です。」
かるがもの男性陣が一斉に顔を上げた。
「何!?」「翔太のカノジョ!?」「いきなりの女子高生登場ってか!?」
「マジかよ!?」「どんな子?」「可愛い子か?」「なあ、教えろよ!」
「スゲエ、バリバリの現役だぜ。久々にナマでJK見た!」
「やあらしい言い方。こんな美少女さんに失礼だろ。」「ね、おじさんの隣に座らない?」
葵の左の眉尻が、ピクピクと二度つり上がった。
「へっ、へえ!女子高生!?」「はっ、はははっ!」「翔くんのカノジョ!?へえーっ!?」
「いえ。私はそんなんじゃ…。」「ただの後輩です。」
もはや相手の返事は耳に届いていない。殺気立つ雰囲気に、今度は男性陣が肩をすぼめた。
「美少女!?」「はははっ!そっ、そんなに可愛いのね!?.」「へえ!翔くんの!?カノジョ!?」「女子高生のカノジョ!?へえーっ、美少女!?」「あっはっはっはっ!」
大声で不気味に笑いながら、葵は教室から出ていってしまった。
「いかんな。かなりのショック状態だ。」
正村が由莉に近づいて来た。
「今頃トイレで壊れまくっておろうのう。」「危険じゃ。皆に近付かんよう言うてくれ。」
「了解。」「会館の職員にもオフレを出しとこうか。」
「やすらぎ会館に血の雨が降ってはならぬ。」「しばしの厳戒態勢じゃ。」
二人は互いにうなずき合った。
「進路は?もう決めたのか?」「親父さんが心配してたぞ。」
父のいない曜日を選んでいた。
「あ…。」「いえ、まだです。」
「こんにちは。」「先日は、…どうも。」
「あっ、あの時の!?」「スマホの娘さんか!」
あの時、炎天下のコンビニの前にいた車椅子の男性だった。彩音は、翔太に教えてもらった簡単な手話で、入口でぶつかった木下啓介にも挨拶していったのである。
「山崎です。かるがもへようこそ。」
山崎菊五郎。かるがもの代表を務める車椅子の貴公子だ。とにかく人望が厚い。多方面での人脈が広い。何より、パソコンに関する知識が半端ではなかった。
「すみません。お邪魔じゃないですか。」
「こんな可愛いお嬢さんに来てもらえて大歓迎さ。」「なあ、みんな!」
かるがもでは“中興の祖”と呼ばれている。正村の熱い想いを赤い炎に例えるなら、彼のは正に青い炎だ。一見、ワイルドな印象を与えるが、常に沈着冷静。諸事において切れ味が鋭い。自らも重いハンデをかかえながら、大所帯のかるがもを見事にまとめ上げていた。
「驚いたかい?」「視覚障害者にパソコンだなんてさ。」
「あっ、はい。びっくりしました。」
職場での事故が原因で、突然に下半身の自由を奪われたのだ。寝たきりの日々が続いた。家族に八つ当たりをして、とことんまで世をすねたのだ。のた打ち回っていた菊五郎に希望の光を与えてくれたのが、それまでは全く無縁であったパソコンの世界だったのである。
「今は、パソコンがおしゃべりするんだ。」「ほら、こんな風に。」
「ほんとだ。すごーい。」
そして正村との運命の出会いを果たした。彼らは、今日までのかるがもを、二人三脚で支えてきた。1+1が2ではない。かるがもの包容力は、4倍にも8倍にも膨れ上がったのだ。
「パソコンが、視覚障害者の眼の代わりをしてくれる。」「欲しい情報は何でも手に入る。」
「そっか。」「だから、“見えなくなったらパソコン”なんですね。」「なるほど~。」
「聴覚障害者だって、世界中の人と自由に話せるんだ。」「パソコンは誰にでもバリアフリー。インターネットが障害者の世界を大きく変えてくれた。」
「そうなんだ。何か感動…。」「知らないことばっかりです。」
山崎の話に目を輝かす彩音を、翔太は嬉しそうに見守っていた。

 遥香は、眠れぬ夜を過ごしていた。広いベッドで独りきりなのだ。出張が一泊のびた。勝からのメールはそっけないものだった。だが、今夜の彼女を眠れなくさせているのは、夫に対する不信感ではない。視察に行った帰りでの、山岡幸三との会話であった。
『いろいろ勉強になりました。』『やっぱり他を見るって大事ですねえ。』
二人は、別のホテルのバーに立ち寄っていた。山岡がマティニを、遥香がバーテンダーオリジナルのノンアルカクテルを注文していた。夕方から出かけていたせいもあって、スカイラウンジの窓から見下ろす外の景色には、美しい地上の星たちがさんざめいていた。
『本当ですか!?すごいじゃないですか!』『おめでとうございます!』
遥香を驚かせたのは、山岡の栄転話であった。海外の有名避暑地にオープンさせる大型リゾートホテルの開業準備室長を任されたのだ。もちろん開業後は、彼がゼネラルマネージャーとして総指揮をとることとなる。ホテルマンにとって、これほど胸の高鳴る挑戦はなかった。
『あ、でも総支配人がいなくなるなんて。』『はあ!』『そっちのほうは気が重いです。』
遥香の復帰を、自らが宿泊支配人を兼任してまで待っていてくれた。ホテルがどんなものなのか。一から叩き込んでくれたのも彼だった。恩師でもあり、師匠でもあり、最後の最後に頼れる心強いボスでもあった。心の底から山岡幸三を敬愛しているのだ。
『君に、ぜひ宿泊支配人を引き受けてもらいたいんだ。』
『え…。』
『何としてでもプロジェクトを成功させたい。』
その眼差しは、既に新たなホテルの姿を見据えていた。
『5年とは言わん。』『遥香君の人生の3年間を、私に使わせもらえないだろうか。』
山岡には家族がなかった。俺はホテルと結婚したのだ。それが彼の口癖だった。どれほどこのプロジェクトにかけているかは、あらためて語らせるまでもなかった。人生の集大成として、ホテルマンの総仕上げとして、是が非でも万全の船出を切りたいに違いない。
「3年…ねえ。」
遠くなる勝との距離と、ピアサポーターとしての自分が、ぐるぐると頭の中を駆けめぐっていた。海外のリゾートホテルで、フロントに立ちたいと願う和代の夢も叶えて上げられるのかもしれない。自分にとっても、またとない大きなチャンスであることは事実だった。
「3年…かあ。」
あの熱い眼差しが瞳に焼き付いていた。山岡幸三と共に、大きな舞台で勝負してみたい。ホテルマンとしての可能性を、思い切り世界で試してみたかった。
『無理は承知で言っている。』『返事は急がなくていい。』
寝返りをうつたびに、遥香の目はさらにパチリとさえていた。
『白石春香しかいない。』『それだけは分かってくれ。』
キャンドルライトに揺れたカクテルグラズの影と、煌めく夜景に彩られた山岡との会話が、彼女の心を、まだ見ぬ美しい海を臨む白亜のリゾートホテルへといざなっていたのである。


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