風車|ぬくもり1-30

 新学期が始まって最初の日曜日、2人はあるテーマパークを訪れていた。テーマパークと言っても、大がかりなアトラクションは何もない。高校生がお小遣い程度で入れる、一面に季節の花々を配した広大な敷地の公園だった。青々とした芝生の上で、彩音が精魂込めたお弁当を広げ、雲ひとつない秋晴れの空の下で、嬉しそうな翔太と一緒に仲良くそれを頬張っていた。
「何か、ドン・キホーテが出てきそう。」
彼らの目の前で、大きな風車がゆったりと優雅に回っていた。
「サンチョ・パンサもね。」
「はい。」
自らを勇気ある騎士だと思い込み、従者と共に旅に出て、巨大な風車に戦いを挑む話だ。
「私、ドン・キホーテが大好きなんです。」
「そう?」
「かっこいいと思いませんか。自分を信じて戦えるなんて。」
翔太は、ピッチを思わせる芝の匂いに包まれていた。
「うん。そうだね。」
自然と想いはめぐる。全力で駆け回っていた自分の姿が浮かんできた。
「私なんて、夢中になれるものが何にもなくて。」「だから羨ましいです。」
「何が?」
「そう言うの持ってる人。」「すごく羨ましいなあって思います。」
あの頃の風を感じていた彼の胸に、さり気ない彩音の言葉が響いた。
「卒業したら、地元で就職するんだ。」「サッカーはやめる。」
芝の感触を確かめるように、彼は、シートの上から上半身を投げ出して仰向けで寝ころんだ。
「ほんとにやめちゃうんですか。」
「うん。そう決めた。」
彩音は待った。問い質せば答えない、そんな気がしたのだ。
「見えないって、とっても大変なんだ。」
父の言葉が正しかった。自分に聴いてほしいと思っている。間違いなかった。
「普段は良くても、何かが起きたら、独りじゃどうしようもない。」「地震とか火事とか…、水害とかさ。」「独りだったら、オヤジは諦めるしかないんだ。」
言われてみて、初めて想像できた。皆、他人の心配どころではなくなっているはずだった。
「普段だって、晴眼者がそばにいなきゃ、本当は困ることばっかりなんだ。」「大事な郵便物が届いても、何かをどこかに置き忘れても、細かい作業や家事なんかも、お金や通帳の管理だって、オヤジが独りでできることじゃない。」「他人は、やっぱり他人だから。どこまでいっても家族とは違うから。」
重い話だった。光太郎の言葉が蘇った。
「それに。」「僕だって、いつ見えなくなるか分からない。」「すっとサッカー続けられるか。知らないまま悪くなってたら、チームにだって迷惑かけるかもしれないし…。」
少女の丸い頬を、一筋の涙が流れ落ちた。
「あっ、ごめん。」「こんな話するつもりじゃ…。」
彩音は、素早く何度も首を横に振った。
「翔太先輩の気持ち、話してくれて嬉しいです。」
真っ赤な目で、身を起こした彼をまっすぐに見詰めていた。
「うまく言えないけど、すごくすごく嬉しいです。」
「神崎…。」
彼は、胸の内にためこんできた何もかもを、洗いざらい彩音の前でぶちまけた。視力を失くして、もがき苦しむ父の姿をじっと間近で見てきたことも。周囲の大人たちの、あからさまな差別や偏見に、必死でたえてきたことも。そして何より、自分自身の将来に夢や希望が持てなくなっていたことを、包み隠さず、唇を噛み締めながら洗いざらいぶちまけたのだ。どれほど孤独で心細かったことか。ずっと健常者の両親に守られてきた少女には、あまりに遠く、もはや翔太の背負ってきた過去に想像すらも及ばなかった。
「はあ!」「ぜーんぶ言っちゃった!」
どうして、こんなに爽やかな笑顔を見せられるのだろう。彩音のハンカチは涙でグショグショだった。眩しい彼の笑顔だけが、唯一の救いだったのである。
「ひとつだけ…、いいですか。」
少女は涙を拭った。恋に遠慮はご法度だ。あの父の言葉が、彼女の背中を押したのだ。
「何?」
「私、見てみたいです。」
「何を?」
「サッカーしてる翔太先輩、一度でいいから見てみたいです。」
なぜだろう。彩音の言葉が、何の抵抗もなく体の中へ入ってきた。サッカーのことを誰かに言われるたび、怒りにも似た拒絶反応を起こしてきたのだ。不思議な感覚を覚えた。
「そう…。」
見せてやりたい、そう思った。否、ずっと見ていてもらいたい。そう思ったのだ。
『本当に守りたいものがあるなら。』『守れる自分になることじゃ。』
菊川由莉の言葉が思い出されていた。
『翔太が守りたいものは、もう父親一人ではなくなっておるはずじゃ。』
輝いている自分を。仲間と風を感じている自分を。ただひたすらにボールを追いかけ、自らの限界に挑戦している本当の多賀翔太を、明日も、明後日も、来年も、再来年も、生ある限り神崎彩音の目に焼き付けてほしかった。かたくなに閉ざしていた彼の心が、まっすぐに翔太を見詰める少女の素直な想いで、今、大きく、そして激しく揺さぶられようとしていた。

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