分厚い壁|ぬくもり1-33

 正村と幹事たちは、数人のサポーターと共に、やすらぎ会館の4階に上がっていた。午後から開かれる恒例のお誕生日会のために、朝一番から、広い多目的室のセッティングを始めたのだ。毎回、さまざまな趣向をこらして、3か月に1度、期間内に誕生日を迎えたメンバーたちのお祝いしている。外部からも、プロ並みの腕前のパフォーマーや音楽愛好家を招いて、参加者全員で非日常的なイベントを楽しんでいるのだ。今回は、映画の鑑賞会だった。視覚障害者のために、情景や登場人物などの描写をしてくれる“シーンボイスガイド”と呼ばれるスペシャリストが、珠玉の名作を引っさげて、ボランティアとしてパフォーマンスしてくれるのだ。映写するための大きなスクリーンを張ってプロジェクターを調整したり、椅子やテーブルの配置換え、おやつと飲み物の準備など、事前の作業に皆が大わらわだった。
「はははっ、今日は私も祝ってもらう側だから。」
大勢のメンバーが一堂に会するのだ。正村の表情も華やいでいた。
「ええっ、いくつになったかって?」「忘れちゃったなあ!」
代表の山崎は、かるがもの教室に居残っていた。お誕生日会が始まるまでの時間を、パソコンに向かって、たまったファイルの整理やメールのチェックに充てていた。彼の足となる車椅子は、特別仕様のチタン製で非常に軽い。驚くかな、5cmほどの段差なら自力で乗り越えてしまうのだ。もちろん自動車も自ら運転し、どこへでもフットワーク良く出かけて行く。山崎が多くの人脈を持つのは、その人格もさることながら、こうした素早い行動力にも裏打ちされていた。近隣の市町村も含めて、I市の福祉に携わる者で彼の名を知らぬ者はなかった。
「はい、山崎です。」「おう、どした?」
携帯が鳴ったのだ。
「ああ、かまわんよ。それで?」「…なるほど。」

 全力でピッチを駆け回る彼と一緒に、彩音も確かにその風を感じていた。翔太のたっての頼みとあれば、後輩たちに異存のあろうはずもない。彼に進学を強く勧めてきた部活の顧問も、なにがしかの心変わりを歓迎して、二つ返事で紅白戦をセットしてくれたのだ。スタンドは黄色い声で埋め尽くされていた。噂を聞き付けたメディアやスカウトたちも、未来のサッカー界を背負うべき多賀翔太の、もしやの復活劇に、大きな期待と関心を寄せて我先にと集まってきたのである。すがすがしい秋晴れの空の下、試合は一進一退を続けていた。
「大輔先輩―っ、頑張ってーっ!」「サッカー大好きな水川京奈でーす!」
「オーレ、オーレ!」「大輔先輩、超かっこいい―っ!」「浮気しない鈴木果歩でーす!」
隣同士で睨み合う2人の視線が、パチパチと女の火花を散らした。
「フン!」
「フン!」
失いたくない友がいる。それだけでも、十分この世に生まれた価値がある。彩音は、かけ替えのない親友たちと共に、初めて目にする翔太の勇姿に夢中となっていた。
「ねえねえ、あなた1年生でしょ?」「神崎彩音って子、知ってる?」
自分の前を通りかかった他校の生徒に、駆け付けた麻衣が声をかけたのだ。
「あの子かあ…。」「意外と普通。ふーん、わりと地味な子なんだ。」
土煙を上げて、まだ青々とした芝の上で、若きイレブンたちが果敢に風を切る。飛び散る汗と、ぶつかり合う技術と、青春の血潮が輝いて見えていた。同点のまま迎えた攻防の勝敗は、PK戦となって、ついにはサドンデスとなったのである。相手チームがシュートを外した。大観衆が固唾を呑んで見守る中、翔太が、万感の想いを込めたボールの前に立っていた。
「彩音…。」
京奈と果歩は、静かに立ち上がる彼女を見上げた。多賀翔太が、神崎彩音に顔を向けたのだ。スタンド中がざわめいた。2人の視線がピッタリと、熱く結ばれていたからだ。その少女の放つオーラに伊藤麻衣も驚いた。そして、ゆっくりとうなずく彩音に、凛とした眼差しで、力強く、彼もうなずき返して見せたのである。ボールは鋭い弧を描いた。重ね合う2人の想いがゴールに突き刺さった時、大歓声の沸き起こるスタンドが興奮のルツボと化したのだ。
「へえ…、神崎彩音、かあ。けっこう手強そう。」
大輔にVサインを贈りながら、恋の好敵手がそう呟いた。
「うふっ、相手にとって不足なしってことなのね。」
秋を彩る一陣の涼風が、笑顔で見詰め合う翔太と彩音の頬をなでていった。

 人は、たくさんの感動を味わうために生まれてくる。例えばそれが1本の映画であっても、演劇やアートであっても、小説や音楽、1編の詩や名もなき者の書いた句であっても、心奪われる出会いが、人生をより豊かなものに変えてくれるのだ。感動は、生きる力を与えてくれる。感動は、立ち上がる勇気を与えてくれる。夢とロマンに満ち満ちた壮大なドラマも、心の琴線にふれてくる1枚の絵画も、人の創りだした作品が、人の心を揺り動かしていくことに違いはない。そこには、創造した者たちの、伝えたい想いが込められているのだ。
「ピィピィピィピィ泣くんじゃない。」「いい歳して、ほんとみっともない。」
「ウエ~ン。ピィピィなんぞ泣いとらん。」「葵に歳のことは言われとうない。ウエ~ン。」
涙もろさも一級品だった。物語の終盤から、画伯が泣きっぱなしなのだ。
「はい、ティッシュ。あれっ、もうカラだ。」「ねえ誰か~、水道屋さん呼んできて~!」
「わしを壊れた蛇口扱いするでない。ウエ~ン。」
映画を鑑賞したメンバーたちは、ほのぼのとした感動に包まれていた。会場を辞すシーンボイスガイドにも、感謝の意が伝えられ拍手で送り出したのだ。皆が手分けして、会場の後片付けに入ろうとした時だった。山崎が、大きな声を張ったのだ。
「みんな、ちょっと待ってくれ!」「今日は、もう1組特別ゲストがあるんだ!」
彼から事情を聞いていた正村が、小さく笑みをもらした。自ら入口に歩み寄り、通路で待っていた翔太と彩音、それに京奈と果歩を招き入れたのである。
「多賀さん、翔太君たちなんだ。」
穏やかな口調で、白髪の紳士がそう告げた。
「え…。」
隣に瑞希も腰掛けていた。
「あんたに。」「いや、かるがものみんなにも、ぜひ聞いてほしい話があるそうだ。」
「オヤジごめん。勝手なことして。」
緊張している翔太と彩音のすぐ後ろで、京奈と果歩が意味あり気に微笑んでいる。察しの良いメンバーらは、それが、かるがもの全員が待ちに待っていた朗報であることに気が付いた。
「さ。」「みんな君の言葉を待ってる。遠慮なく話してごらん。」
「はい…。ありがとうございます」
もう翔太の目は真っ赤だった。
「サッカー…、諦めるつもりでいた。」「地元で就職して、ずっとオヤジと暮らそうって。」
宏之は黙って耳を傾けた。亡き母方の祖父母が、全面的に学資を支援してくれることも、自分が独り暮らしとなれば、市の福祉課の再認定を受けて、ホームヘルパーなどの行政サポートを利用していくことも伝えていた。だが、曖昧な返事を繰り返すばかりで、一向に本心を明かそうとはしない。受験勉強をしている気配さえなかった。しかし、同時に彼は、翔太の人生は翔太自身で決めるべきだとも考えていた。自らの力で支えてやれない今の宏之には、息子の出した結論をそのまま受け入れてやることが、父としてできる唯一の手助けではないかとも考えていたのである。
「家族が一番大切だから。」「サッカーやめるくらい、どうってことない。」「夢なんか、夢なんかなくたって、夢なんかなくたって平気なんだって。」「本気でそう思ってたんだ。」
声を震わせる彼の手を、彩音がそっと握り締めていった。唇を噛む父の手も、瑞希が膝の上で握り締めたのだ。皆が一様にすすり泣いていた。今にも大声を上げて泣き出しそうな由莉は、葵が、ポケットから取り出した洗濯バサミで口をふさいでしまったのである。誰もが翔太の気持ちを知っていた。誰もが宏之の気持ちを知っていたのだ。
「でも…。」「でも僕は…。」
見えない壁があった。物心付いた時から、ずっと彼の行く手をはばんできた分厚い壁だ。
「頑張れ翔太!」「ここにいる全員が、お前さんの応援団だ!」
山崎の言葉に、一人、また一人と立ち上がった。
「翔太もヒロさんも水くせえな。」「俺たちゃ、家族みたいなもんじゃねえか。」
「そうよ、翔太君。」「みーんなが付いてるの。」
「ああ、俺らのこと、忘れてもらっちゃあ困るなあ。」
「ヒロさんのことなら、なーんにも心配いらないわ。」「私たちに任せて。」
「俺にもな。」
「あたしにもよ。」
「私もね。」
「おいらも。」
「あたいも。」
「あっしもでい、コンチクショウ!」
全員が、父と息子を取り囲んでいた。
「翔くんのほんとの気持ち、ヒロさんに伝えて上げて。」「私たちも聞きたいわ。」
最後は葵が背中を押したのだった。
「サッカー、続けたい!」「自分の夢を諦めたくない!サッカーやめるなんて無理だった!」「大学へも行きたい!もっと大きな世界を見てみたい!」「自分を試してみたいんだ!」
何があろうとも、どんなにそうしたいと望んでも、父の負担となることを決して口に出してはならない。ヤングケアラーとして、家族を想う息子として、心に刻み込んで来た非情な掟であった。翔太にとって、生まれて初めて吐き出す、偽りのない“本当の想い”だったのだ。簡単なことではなかった。かるがもの皆の力を借りなければ、立ちはだかる分厚い壁を越えられない。彼がこの場を選んだのはそのためだった。翔太を見守ってきた山崎と正村は、心良く、その切羽詰まった申し出を受け入れてくれたのである。
「だから。」「だからどうしても。」「どうしてもサッカーを…。」
会場は、水を打ったように静まり返っていた。今度は、宏之の番だからだ。
「彩音君はいるのかな。」
一瞬ののち、少女は我に返った。
「え。」「あっ、はい。」
「こいつはほんとに良くできた息子でね。」「でも、ひとつだけ困った欠点があるんだ。」
翔太が、彼女の手を強く握り返した。
「何でも自分独りでかかえ込もうとするんだ。」「こいつの胸の中には、私の知らない痛みや悲しみ、寂しさや悔しさがいっぱい詰まってると思う。」「苦労させ過ぎたせいか、それが当たり前だと誤解してるみたいなんだ。私では治してやれない、翔太の唯一の欠点でね。」
何を言おうとしているのか。正村と山崎は、既に思い至っていた。
「これからの…。翔太の未来には、きっと途方もない困難が待っている。」「自分独りでは乗り切れないことばかりが起こるかもしれない。」「どうやら、彩音君だけがその特効薬を持ってるみたいなんだ。」「こいつの唯一の欠点を、治してやってはもらえないだろうか。」
世界一泣き虫の彩音が、必死に涙をこらえていた。
「翔太のことを頼みます。」「君にバトンタッチだ。」
「…はい。」
すすり泣きが、ひとつひとつ笑顔に変わっていった。
「ウエ~ン、ウエ~ン」「良かったのう翔太。ウエ~ン。」
「だから、ピィピィピィピィ泣くんじゃない。」「いい歳して、ほんとみっともない。」
「ウエ~ン。ピィピィなんぞ泣いとらん。」「葵に歳のことは言われとうない。ウエ~ン。」
「ねえ、水道屋さんまだ~?」「誰か、布団バサミ持ってな~い?」
やすらぎ会館にも、さわやかな秋の気配が訪れていた。

「ちょっと待った!」
京奈が、下した緞帳(ドンチョウ)の裾を持ち上げたのだ。。
「私と果歩、セリフなし!?」「ヒドクない!?」
「ほんとほんと。」「ヒドーイ!」「信じらんな~い!」
「だはははっ!わしなんぞ、泣いとっただけじゃ!」
「もう!」「しかたないわねえ。」「じゃあ。シーズン2の予告して上げて。」
そう言いながら、やはり画伯と葵も顔を出した。
「はーい!」
「はーい!」
少女たちは、満面の笑みとなった。
「シーズン2は、かるがもに新たなメンバーが加わってパワーアップしちゃいます。」
京奈に続いて果歩だ。
「かっこいい遥香さんのお話も見逃せませんね。」「素敵な恋の予感が…。」
「マジでわくわくドキドキ、今度もたっぷり笑いあり涙ありなんだって!」
「キャー、早く読みたーい!」「私が主役で出だーい!」
そして、飛びっきりの可愛いウインクと投げキッスを読者に送ったのである。
「ぬくもりシーズン2も!」
「ヨロシク~!」
「どぇーす。」

シーズン1・了


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