秋の日|ぬくもり2-1

シーズン2

 秋が深まっている。田畑を囲む里山が、赤や黄色に燃えている。田舎道を見下ろす枝先にも、食べごろを迎えた秋の味覚があでやかに色づいていた。紅葉狩りに訪れていたなら、どれほど癒されていただろう。ひんやりとした風が、線香の煙をたなびかせていた。ゆっくりと墓前に手を合わせた。伝えきれない想いが、次々と込み上げてきている。ようやく如月遥香が立ち上がった時、お供え物をぶら下げた彼がその場に現れたのだ。
「もう、落ち着いた?」
村のはずれにあるひなびた喫茶店で、彼女がそう話しかけていった。
「ええ、まあ…。何とか。」
飯田隆と会うのは、告別式の日以来であった。
「おふくろさんも、また仕事始めました。」「食べてかなきゃいけないからって。」
「そう…。」
今日が、石川和代の3度目の月命日なのだ。
「俺はまだ。」「昨日のことみたいで…。」
遥香は、小さくうなずいた。彼女自身も、今そこに、和代の笑顔があるような気がしてならない。最後は、あっと言う間だった。凄まじい痛みにたえかね、どんどんモルヒネの量が増えて、家族の同意のもと、自らセデーションを選択して、8月のある朝ひっそりと、母と恋人に看取られながら静かに逝ってしまったのである。
「今頃、何してるのかなあ…。」
「え?」
「石川さんのことだから、いろんなこと始めてるかもしれない。」
窓の外の、雲ひとつない大きな空を見上げていた。さり気なく、隆にも心のサポートが必要ではないかと考えたのだ。悲嘆に暮れているだけでは、彼自身が前へは進めない。おそらく和代も、それを案じているはずだった。どんなきっかけでも、残された者たちが、歩みを始めることが大切なのだ。止まった時を動かすことでしか、悲しみを和らげるすべはなかった。
「私も、負けてられないわ。」
遥香の視線の先を、隆がなぞるように追った。
「そうですね。」「天国でも頑張ってますよね、あいつ。」
「ええ。きっと、そうだと思います。」
あれから一年余りが過ぎていた。今月の1日付けで、山岡は、現地の開業準備室へと着任したのである。まだ、彼女の中には、あの夜の炎がくすぶり続けていた。後悔はしていない。ただ、消し去ることが難しいのだ。今も、熱いメッセージが送られてくる。和代を見送った遥香の胸に、そこはかとなく、迷いが生じていたとしても不思議ではなかった。
「俺も…。」「負けてられないですね。」
美しいピアサポーターが、柔らかな笑みで、ゆっくりと一度まばたきをした。

 翔太は推薦入学の形で、至近の中核都市にある大学へと進んでいた。サッカーで全国に名を轟かせ、今をときめくスーパープレイヤーを、数多く輩出してきた名門中の名門なのだ。一年生の部員は全寮制だった。それでも、週末だけは自由にできる。彩音との交際も、誰もが羨むほどに順調なのだ。去年の、あの夏の日の出逢いが、彼の未来を前途洋々たるものに変えていた。否、彩音と共に歩むであろう2人の未来だ。
「カアーッ!地ビール最高!」「ね、ここって天国!?」「あっ、極楽かあ!?」
「ほんにうまいのう!」「昼間の酒は格別じゃ!」
かるがものメンバーは、秋のバス旅行に来ていた。I市の提供する無料の福祉バスで、年に2度、日帰り圏内の名所へルンルン気分で出かけている。ランチ時は、毎度このパターンだった。どこへ行っても生ビールで喉を鳴らして、土地土地の名物に舌鼓を打つのだ。日常の生活に娯楽の少ない障害者たちには、心待ちにできる楽しみな恒例の行楽イベントでもあった。
「ホーホホホホホッ!」「何だか、この辺りにオバンの臭いが滞留してますわ!」
葵の左の眉尻が、ピクピクピクと3度上がった。
「はあ~、これだから団体のバス旅行って困りますわ!」「オバンの加齢集が移っちゃうかも~!」「あっ、そうですわ。お店に消臭剤ございませんこと!?超強力なのがよくってよ!」
永遠の宿敵とも、天敵とも呼ぶべき百葉美玲(モモハ ミレイ)が現れたのだ。
「はっ、ははっ!今、なんか、性悪勘違い女の声が聞こえた気がしたけど、気のせい!?」
今度は、美玲の鼻がヒクヒクと左右に動いた。
「ホッ、ホーホホホホホッ!ほんと、いやですわ~!お口だけ達者なオバンがヒガミ根性丸出しで、お昼間から安酒飲んで酔っ払ってらっしゃるのねえ!」「まっ、しかたがないかなあ、と~っても若いですから、このわたくしが!」「ヒガンで当然ですものねえ!加齢集くらい、大目に見て差し上げますわ~!」「オバンに臭いは付き物ですもの!ホーホホホホホーッ!」
超上から目線の百葉美玲も、全盲の視覚障害者だった。かるがもの教室では、別の曜日に通ってきている。2人は滅多に顔を合わさない。しかし、どこか互いのキャラがかぶるせいか、知る人ぞ知る犬猿の仲なのだ。普段は冷静沈着でクールな美玲が、葵と遭遇すると、いきなりトップギアに切り替わる。対する葵も、一気にハイテンションとなって、攻撃モード一色の戦闘態勢に入るのだ。両者は完全に殺気立って、辺りに一触即発の危うい空気が漂い出していた。
「あっはははーっ!自分がモテ女だと勘違いしてる座敷わらしが、この元カリスマスーパーモデルに嫉妬してるわけねえ!」「あっ、コロボックルだっけ。ミニュチュアサイズってかわいそう。心まで小っちゃいのねえ!」「ふん!机の角で頭ぶつけないよう、せいぜい気をつけて上げてねえ!」「ほんといいわねえ、安~いお子様ランチで済んじゃうから~!」
小柄なのだ。心くすぐるシャルマンな声の持ち主で、葵に負けず劣らずの人気者だった。
「まあまあ、そのくらいにせんか。」「わしの酒がまずうなる。」
「あら、由莉さんもいらしたのね~。オバンのアオカビ菌にやられないよう、お気を付けて下さいね~。」「すっごくタチが悪くて、感染したらシワだかけになっちゃうそうですわ。」
「だははははっ!アオカビ菌のう!?」「うまいこと申すではないか!だははははっ!」
稲妻のような葵の右フックが炸裂した。
「いっ、ぃかん!」「今日は、まっぴるまっから地球が回っておる!」
アオカビ菌のひと言にひるんだ隙に、言われっぱなしで立ち去られてしまった。怒髪天を突く勢いだった。怒りに震える葵の頭から、蒸気のごとき白い湯気が噴き上がったのだ。
「ふふっ、覚えとけ、小賢しいちびっこギャングめ。」「今にほえ面かかせてくれるわ!」
不敵な笑みを浮かべる葵が、残りのビールをぐい飲みし、泡の付いた口を手の甲で拭った。
「橘葵をなめたら…、なめたらいかんぜよ!」「ヒック!」

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