宿った命|ぬくもり2-7

 生け花が、愛でる者たちを魅了してやまないのは、人工的に創りだされた“人間好みの美”であるからだ。自然の織りなす四季折々のそれとは異なって、計算され尽した瑕疵(カシ)のない方程式がそこにある。生け花の持つ力強さは、“刹那の命”にあった。ハサミで根を断つことにより、過去も未来も失ってしまう。花ひらくまでの過去からも、実を結ぶであろう未来からも切り離され、刹那を活かして魅せる今を生ききるしかなくなるのだ。短い時を切り取られた命が、あの力強い美を生みだすのであった。小紅螺の場合もそうではないのか。はつらつと自由に生きていた過去や、不安で一杯の未来からも解き放たれ、今の自分を生き切ることが、第一に乗り越えるべき段差のように思えたのだ。正村夫婦は、小さな段差から試してみることにした。まずは圭一郎が、彼女に、かるがもの教室で携帯端末のインストラクターを目指してみないかと提案したのだ。小紅螺は、力なく小さくうなずいた。
「こんにちは。」
そして、この2人もまた、運命の出会いを果たしたのである。
「百葉美玲と申します。ヨロシク~。」
「初め…まして。」
何かの間違いではないか。小紅螺はそう思った。自分にイロハを教えてくれる相手が、明らかに視覚障害者の女性であったからだ。いつもとは別の曜日に参加していた。圭一郎は、あえてそのことを彼女に伝えていなかった。かるがもの教室では、これが“普通のこと”だからだ。
「お名前は?」「オホホッ、ございますでしょ、お名前。」
「あ…。」「白原、小紅螺です。」
「まあ、素敵なお名前ですこと。」「じゃあ、これからはサクラちゃんとお呼びしてもよろしいかしら?」「わたくしは、美玲でよくってよ。」「良かったわあ。どこかのアル中オバンの臭いが染みついてないか、本当はかなり心肺してましたの。ホホホッ。安心しましたわ。」
何の話か、さっぱり分からなかった。
「あら、ごめんなさい。臭いの部分はお忘れになって。」「無用なバイ菌のお話ですの。」
「はい。よろしく…お願いします。」
知的で可愛い印象だった。小紅螺はそう感じたのだ。
「オホホッ。わたくしのお顔にご飯粒でもついてるのかしら?」
「え…。」
「そんなにじっと見られると、何だか恥ずかしいですわ。」
もしや、見えているのか。小紅螺は混乱した。視覚障害者は、視覚以外の感覚が研ぎ澄まされていることが多い。人間が得る情報の9割近くが、目からのものであるとされている。第6感的なものまで含め、残りの4感を総動員しているのだ。わずかでも多くの情報を正確に掴むために、集中力を高め、人の息づかいひとつでも、晴眼者とは違う感じかたや受け止めかたをしていた。それが、身を護るためのすべでもあるからだ。
「わたくしが教えて差し上げられるのは、基本中の基本だけ。」「それと。」
「…はい。」
「覚える気のないかただと判断したら、すぐ打ち切りに致しますから。覚悟なさって。」
きびきびとした、甘えの許されない言いかただった。
「さ。始めましょ。」「時は金なり。無駄にしてはもったいないですもの。」「でしょ?」
そう。圭一郎は、わざわざクールな美玲に彼女への手解きを託したのだ。どこまでも沈む底なし沼でもがくような難病であるために、小紅螺はこれまで、腫れ物に触るようにして周囲の者たちから扱われてきた。そのことがかえって、必要以上に不安を増大させ、自らを悲劇の主人公だと思い込ませているのではないか。彼はそう考えたのだ。このかるがもの教室にいる障害者の誰もが、ひと言では語れない艱難辛苦を乗り越えてきている。全盲の美玲もまた、自らの宿命と向き合いながら、今日まで一歩ずつ前を向いて歩いてきたのだ。障害者が障害者をサポートする。そこには、健常者ではマネのできない強いメッセージが込められていた。戸惑う小紅螺をよそに、美玲は淡々と基本操作の説明を始めていた。

 思わぬ父の言葉に、真帆の心は激しく動揺していた。離婚も視野に入れなさい。はっきりとそう、目の前で告げられたのだ。彼女にとっては、すでに離婚させられたも同然だった。28年間、万作の顔色だけを見てきていた。田所の家では、彼の意に逆らうことなどあり得ない。幼い自分を残して、実母が家を出たのもそのためだった。
『彼は本当に優秀なんだ。』『いずれはわが社の屋台骨を背負う男だ。』
夫との出逢いは、田所万作がホストを務める社内パーティーの会場だった。
『初めまして、松山俊哉です。』『お嬢様の話は、常務からかねがね。』
交際は、もちろん父の公認だった。一年を経ずして、トントン拍子でゴールインしたのだ。全ては、万作の書いたシナリオ通り。真帆は、それとは気付かないフリで、登場人物の箱入り娘を演じていたのである。父の手駒のひとつ、操り人形と言い換えるべきなのかもしれない。自分の人生ではない人生を、逃げ出した母の分も含めて受け入れてきた。否、大学へ通うために家を出た4年間だけは、唯一例外と呼べる自分のものだった。箸の上げ下ろしまで指摘されることなく、自由で気楽な学生生活を満喫できたのだ。ストリート・ミュージシャンの中村大樹(ナカムラ ダイキ)と、燃えるような恋に落ちたのもその時だった。
『俺、ビッグになりたい。』
『大樹ならなれるわ。』『私、ずーっと応援する。』
『真帆がいれば、夢が叶う気がするよ。』
『あなたの夢は、私の夢だから。』『お願いい。私を離さないで。』
卒業後も、父には極秘で遠距離恋愛を続けていた。だが、ついに、義母の千穂に悟られてしまったのだ。見合いを断り続ける手駒を、万作が監視させたに違いない。どんな汚い手を使ったのか。以来、大樹とは全く連絡が取れなくなってしまった。今度は俊哉を見捨てろと言い出した。こっそりと、独りで訪れたマタニティクリニックを出る真帆は、己が身に宿った新たな命を、天からの授かりものか否か、五里霧中の定まらぬ思案で考えあぐねていた。

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