赤い糸|ぬくもり2-11

 世界中にあふれる恋の歌。世界中にあふれる愛の詩(ウタ)。どれだけ多くの恋愛小説や、めぐり逢う男女のシナリオがあるのだろう。胸ときめかす甘い囁きから、紅蓮の炎に身を焼く激情の告白まで。幼く淡い恋もあれば、命をも惜しまぬ深い深い愛もある。さまざまな表現で、多様な恋愛模様が限りなく描かれてきた。それでも、まだ足らない。それでも、新たなラブストーリーが求められるのだ。人の数だけオリジナルな恋愛があって、時代の数だけ連綿と積み重なっていく。全宇宙にまで網を広げたら、それこそ天文学的な数が集められることだろう。“Bought Love”の大ヒットで、一躍スターダムにおどり出た人気デュオ、サドゥンリーの一人を、真帆は瞬きもせずに見詰めていた。
「真帆さん、お夕飯の支度ができました。」
自室の前で、千穂が声をかけてきたのだ。
「はい。」「今いきます。」
まぎれもない。テレビ画面の向こう側で、スポットライトをあびた中村大樹が歌っている。耳慣れた、否、心を奪われた彼の歌声が、五里霧中の彼女を当時の自分へと連れ戻したのだ。大量のアドレナリンが放出され、脈拍が一気に上昇していた。彼を見付けた歓びと、やはり裏切られたのだと言う哀しみが、どちらも勢いを増して、真帆の胸をかき乱したのである。何があったのか、確かめずにはいられない。どうして一言もなく消息を絶ってしまったのか。本人の口から、真実を語って欲しかった。俊哉との離婚を宣告され、腕利きの弁護士まで紹介されていた。頭の中には、運命と奇跡の二文字が鮮明に浮かんでいるのだ。あたかも、お腹の子の父親が本当は大樹であるかのような、願望にも似た奇妙な錯覚まで覚えていた。
「真帆さん、どうかした?」
あわててテレビを消した。もう二度と邪魔をされたくはなかった。
「お義母様、ごめんなさい。」「お友達にメールを。」
「そう。」「今夜は、真帆さんの好きなストロガノフよ。」
「ありがとうございます。」
微塵も悟られることなく、速やかにことを運ばなければならない。遅かれ早かれ、千穂が不審に思えば、父が大樹の情報にたどり着くことになる。俊哉が闘病していることも、彼の子を宿していることも、過去に自分を捨てた男であることも、彼女にブレーキをかけさせる理由にはならなかった。逸る気持ちを懸命にこらえて、いつも通りの時間を過ごし、真夜中過ぎに起きだして、灯りがもれないよう掛け布団をかぶった状態で、パソコンの検索画面に食らいついたのである。逢いたい。すぐに逢いたい。真帆の心は、その想いで凝り固まっていった。

 二人は、館内の地下2階にある従業員のための専用食堂で、まかないの日替り定食を食べながら、テーブルをはさんで談笑していた。まだ遥香の心は、完全に自分を取り戻してはいない。それでも、宗一郎のお陰で、客室階に上がれるまでには回復していた。彼女も又、ホテルを辞める以外にないと考え始めていたのだ。これで、二度も続けて、“あいつ”に助けられたのである。あんなに人前で泣いたのも、生まれて初めての経験であった。
「そっかあ、幼稚園の先生なんだあ。」
「ええ。とにかく子供が大好きでして。」「子供といる時は天使に見えます。」
「あっ、何なのーそれ、オノロケ?」
「あはっ、私といる時は、時々閻魔大王になりますから。」
「ひどーい。」
「あ、いや、撤回します!今のは無し!」「聞かなかったことにして下さい!」
基本的に1勤務1食は無料だった。給料の安い若手のホテルマンには、ご飯が食べ放題なのは大助かりなのだ。突然に人手が必要となった際にも、館内にいれば駆け付けることができる。料飲部門が忙しい食事時は、管理や宿泊のスタッフが交代で席を埋めていた。
「別に、どうでもいいんだけど。」「何で独身なわけ、あいつ。」
次々に入ってくるスタッフたちと挨拶を交わしながら、彼女がついでのことのように、さり気なく横を向いたまま呟いたのだ。
「え、あいつ?」「あっ、ああっ、総支配人のことですか?」
「あいつって言ったら、あいつしかいないわ。」「まっ。どうでもいいんだけど。」
「気になりますか?」
「はあ?」「なっ、何か勘違いしてない!?」「私は別に!」
「ご本人に直接お尋ねになった方が早いかもしれませんね。」
耳まで赤くする遥香の隣に、ランチのトレイがドンと置かれた。
「今日はラッキーやな!別嬪さんと一緒に昼飯や!」
「お、お早うございます。」「こないだは、…ご馳走様でした。」
業界の慣例だった。夜中に顔を合わせても、お早うが決まり文句なのだ。
「あのな、目茶目茶うまい焼き鳥屋見付けたんや。」「どや、三人でいこか?」
「あ、いいですね。今度はぜひ私も。」
「また赤ちょうちんですかあ?」
「ほんまにおいしいんやて。」「大将もイケメンやしな。」
「は!」「だったら一人で行こうかなあ。」「安―いお店でしょ?」
もう行く気になっている。しかも、顔を向けて随分と親しげに話しているではないか。この妙な関西弁さえ話さなければ、ダンディーでそれなりの二枚目なのだ。以前に働いていたホテルでも、男気に厚く、判断力も実行力もある白石宗一郎は、男女を問わす絶大な信頼を集めていた。本当は、彼に想いを寄せる女性スタッフも少なくはなかったに違いない。その白石がこの年代まで独身を貫いてきた理由を知る佐川は、世にも不思議な運命の赤い糸を感じて、思わず二人の前で微笑ますにはいられなかった。
「如月支配人、お早うございます。」
「あ、河野さん。お早う。」
「午後、ちょっとお時間ありますか?」「ご確認したいことが。」
「ええ、いいわよ。」「何の話かしら?」
「ここでは、ちょっと…。」
悪鬼の、二本目の矢が放たれようとしていた。

 最新のセキュリティーに守られたエントランスを見張れる位置に、黒塗りの大型ワゴン車が停められていた。月夜の中でも闇に溶け込んで、余程に注意深く眺めなければ気が付かない。咲は、すでに第三の矢も放っていたのである。
「おやっさん。」
手下の男の声で、後部座席の五郎が、マンションのエントランスに近付く遥香を見た。
「なるほど。帰りの時間も、この記号通りやな。」
彼の手には、フロントの勤務シフト表が握られていた。
「どないします?」
車を突進させて、強引に拉致することなど簡単だった。だが、それでは短絡に過ぎて面白みがない。どう獲物を追い詰めて料理するか。五郎は、じっくりと攻めて楽しむことにしたのだ。如月遥香ほどの上玉を、できれば能動的に、自らに従わせてみたくなったのである。隣で乱れた髪と衣服を整えている咲の叔母に、彼はあることを告げていった。
「いい考えだわ。おもしろそう。」
「ふふふっ…。」


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