忘年会|ぬくもり2-15

 かるがもの一年を締めくくる大忘年会。平日の昼間に、飲食店やホテルの宴会場などを借りて毎年盛大に行われている。この日ばかりは障害者もサポーターもなくて、皆で楽しく盛り上がり、今年も無事に過ごした歓びを、老いも若きも共に語って分かち合うのだ。たくさんの笑顔があって、気の置けない仲間たちがいる。これに勝る至福のひと時があろうか。そこに、美味い料理と飲み物があれば、弾む会話にさらなる花が咲く。夢のような心温まる時間に酔いしれていく。それが、かるがも恒例の大忘年会だった。
「何と!」「やさしい心遣いじゃのう。海老の殻までむいてやっておるわい。」
百葉美玲が幹事ということもあって、自宅を出る前から、葵はすでに戦闘モードに入っていた。その上、怖れていた通りに、宏之と共に現れたのが、あの松本瑞希だったのだ。まだ殺気は内に秘めている。だが、いつ大爆発するか分からない。不気味な気配を漂わせて生ビールをあおる彼女の隣で、あろうことか、画伯が二人の様子を実況中継し始めていた。
「ふん、お母さんなわけ?」「今日って保護者会だった?」
「だはははっ!ヒロが、あーんしておるぞ!ほんに嬉しそうじゃ!」「こっちのほうが恥ずかしゅうなるわ!あーんじゃぞあーん!だははははっ、羨ましいのう!」
「はん!」「スズメの学校か?」「道理で。どっかからチイチイパッパチイパッパって、ヒロさんをたぶらかすメスのスズメの声が聞こえてきてたわ。」
「おおっ!なんと大胆な!おおーっ!」
「なに!?」「スズメバチの女王が、なにやらかしたの!?もしかしてヒロさん刺した!?」
酔いの回る葵の頭を、いろんな妄想が駆け巡った。
「指で摘まんだフルーツを、ヒロと自分の口に同時に押し込んだのじゃ!」「だはははっ!まるで新婚夫婦のようではないか!わしなら、甘すぎて血糖値が危険ゾーンに突入じゃ!」
誰がどう考えても、相思相愛にしか見えない。二人の様子が視界に入るメンバーたちは、わがことのように顔を赤らめたり、ぽっかりと口をあけたりしていた。微笑ましいと言うよりは、やはり羨ましい。中には、隣同士でまねをし始める者たちまでいた。
「ホーホホホホーッ!」「人生の楽しみが酒と男しかないのねえ!」
ついにOK牧場の決闘の時がきた。今日の葵は機嫌が悪い。否、前回のリベンジを果たすには、格好の舞台が整ったのだ。早くも全身が、超高温の白熱の焔に包まれていた。
「おもしろ過ぎて吐き気がするわ!」「今ってどこから聞こえたの、椅子の下!?あっ、ビール瓶の陰かあ!うろちょろしてると目障りだから、残飯と一緒に片付けてやってねえ!「生ごみの中だとまた舞い戻って来るから、排水口に流すのが一番お奨めよ!」
突然のバトルの勃発に、由莉の正面に座る小紅螺が目を丸くした。
「あーらいやですわ!アオカビ菌が増殖して、口汚いオバンの胞子をまき散らしてますのねえ!」「どなたか、メチルアルコール持ってきてくださらない!?アル中オバンを、大好きなアルコールで灰にして差し上げますわ!」「お店の裏辺りに焼却炉はございませんこと!?ドラム缶でも良くってよ!」「バイ菌は燃やしてしまうのが一番ですもの!」
挽回するなら今だった。前回ひるんだ記憶が蘇る。葵の怒りは頂点に達していた。
「ちびっこギャングを排水口に流したら、パイプ洗浄剤も忘れずにね!きれいに溶けてこの世からいなくなるわ!」「なんて言ったっけ!?微細藻類、マイクロアルジェ!?どっかのプールみたいに大量発生する前に、酸の力で大迷惑な緑の微生物を消滅させるのよ!」
「ホッ!」「ホーホホホホッ!わっ、私が緑の藻なら…。」
「ああっ、忘れてた!ミドリムシが混ざってるかも!?単細胞生物だから、とってもしぶといらしいの!」「洗浄剤の後から、殺虫剤もぶっかけてやってねえ!完全に息の根を止めるのよ!」「なんなら顕微鏡持って来るから、DNAもバラバラにしてやってちょうだいねえ!」
皆も注目し始めた。正村夫婦も、呆気にとられていたのだ。
「やれやれ、また始めたか。」「しかたない、止めてくるとするか。」
「待って!おもしろそうじゃない!」「私も参戦してくるわ!」
「あっ、おい!」
手を伸ばす圭一郎をしり目に、八重子は既にチャンラーと叫んでいた。彼は苦笑いを浮かべていた。このヤバい展開を、誰より妻が歓ぶことを知っていたからだ。ふと目をやれば、ようやく事態を呑み込んだ小紅螺が、二人のバトルに引き込まれ、しだいに頬を緩ませているではないか。彼は驚いた。そして、胸を熱くしたのだ。人間を、人の間とはよく言ったものだ。この世の全てを拒んで、孤独な日々に息をひそめてきた彼女が、図らずも葵と美玲のバトルで笑みをもらさんとしている。確かに今、小紅螺は、二人の間で忘れていた感情を取り戻しかけていた。人としてごく当たり前の、どこにでもいる二十代の女性になろうとしていたのである。
「かるがもの忘年会とかけて!」「一触即発のバトルと解く!」
突然の大御所の参戦に、会場内が一つとなって声をかけたのだ。
「いよーっ!そのココロはーっ!?
「どちらもカイヒが重要です。チャンラー!」
いかにもイキな、八重子らしい大岡裁きであった。
「おおっ、会費と回避とな!?さすがじゃのう!目の着けどころが、わしらとちごうておるわい!なるほど納得よのう!」「で、メチルアルコールと排水口はどうなったのじゃ!?」
今度も、八重子の努力を画伯が台無しにした。

 適度に酔いの回った宏之は、彼女の肘を掴むだけでは歩みがあやしくなっていた。二度ほどつまずいたあとに、瑞希が自ら腕組をしてくれたのだ。ここまで体を密着させたのは初めてだった。何も感じるなというほうが無理だった。宏之は彼女を、瑞希は彼を、異性として互いに充分意識し合っていたのである。彼の家は、もうすぐそこだった。
「あの。」
「はい。」
「このあともヘルパーの仕事ですか。」
「え。」
「良かったら、うちで珈琲でも…。」
瑞希からの返事がない。宏之は死ぬほど後悔した。酒に酔った勢いで、あらぬ思いに駆られているのではないか。そう誤解されても仕方のないタイミングと誘い方だった。きっと下心ありと受け取られてしまっている。今さら、どんな言い訳も陳腐にしか聞こえないだろう。取り消しも削除もできない言葉だけが、気まずさを漂わせて心を重くしていた。
「私ね…。ほんとはバツイチなんです。」
二人は、家のある路地に入った場所で立ち止まった。
「赤ちゃん産むとき、大量に出血して…。」「もう産めないんです。」
初めての子は、死産だった。二百年も続く老舗の料亭には、どうしても跡取りを産める嫁が必要だったのである。奇跡的に一命をとり止めた彼女を、親戚一同までもが寄ってたかって責め立てた。心が折れてしまった。離婚後は、何度も入退院を繰り返し、もう二度と普通の幸せを望むまいと心に誓ってきたのだと言う。聞くべきではなかった。今まで通りの関係で自制すべきであったのだ。わずかな時間でも瑞希を引き止めたいと欲張ったことが、彼女からレッドカードを突き付けられる結果を招いてしまっていた。取消しや削除どころか。自らが、なんの役にも立たない、愚かで軽率な全盲の視覚障害者であることを思い知らされていた。
「じゃあ、これで。」「御馳走様でした。」
「話してくれて。」「ありがとう。」
瑞希の去った寒々とした玄関で、彼はもう、何も考えられなくなっていた。



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