恋心|ぬくもり3-2

 冬の寒さがピークを迎えていた。かるがもの教室に入ってくるメンバーたちも、皆が一様に、凍てつくような風の冷たさを強調している。その度に何人かが同意して、同じパターンの会話を繰り返しているのだ。あのプロポーズ大作戦から一年が過ぎていた。縁結びプロジェクトは解散したが、かるがものメンバーに退屈と停滞の文字はない。前年から始まった情報端末の勉強会が、ある理由が誘因となって、思いがけぬ賑わいを見せていた。
「ねえ、これってどうすれば良かったのかしら?」「葵、思い出せなーい!」
彼の隣に張り付いた橘葵が、飛び切りの猫なで声で問いかけた。
「だははははっ!何度同じことを聞いておる。」「わしが教えてやろうか。」
「ああ、そうかあ。」「うふふっ、小野寺さんの声がすごく素敵だから、葵、緊張してなかなか覚えられないのかも。」「ねえ、もう一度お願いしたいわ。耳元でゆっくり囁いてね。」
必殺のガン無視を決め込んでいた。外部講師として招いた小野寺友則(オノデラ トモノリ)が、若くて独身のイケメンだったからである。
「あら、わたくしに訊いても良くってよ。」「その辺りなら教えて差上げられますわ。」
まだ停戦状態が続いている美玲の言葉にも、まるで反応しない。こちらもガン無視であった。
「ええ、それでOKです。」「橘さん、ちゃんと覚えてるじゃないですか。」
「やーん。耳元でささやいてくれたら覚えられるみたい。」
「だははははっ!ホストクラブか!?」「金を取れ、金を!ぼったくってもかまわんぞ!」
「でも、小野寺さんていい匂い。」「あなたのカノジョが羨ましいわ。」
「ははっ、そんな人いませんよ。」「僕は全くモテません。」
「嘘でしょーっ?ほんとなの?」「まあ、それは大変だわ!」
今の言葉に、胸をときめかせた女性がもう一人いた。テーブルを挟んだ正面に座っている小紅螺(サクラ)だ。皆には気付かれないように、嬉しそうに華やいだ顔を元に戻そうとしていた。否、葵や美玲にそれが分かるはずもない。のほほんと受講している画伯も、小紅螺の表情など気にしてはいなかった。つまりは自意識過剰なのだ。恋とは、不思議なものである。それまでは、道行く人の一人だった人間が、突如として特別な存在に変わり、ささいな言動の一つ一つが気になってくる。ため息をつくようになるころには、もうその人なしでは日常が成り立たなくなっているのだ。相手のことを知りたい。自分をどう思っているのか知りたい。少しでも長く傍にいて、できることなら相手の時間を独占したくなる。知らず知らずに嫉妬の感情に振り回されていくのであった。恋は大きな期待をいだかせる。恋は切なさを教えてくれる。時に恋は、人を魔物に変えて、狂おしいほどにその身を焦がしてしまうのだ。だが、心や体に障害をかかえる者の恋は、もっともっとハードルが高かった。相手が健常者であればなおさらである。どう頑張っても、強いコンプレックスからは逃れられない。最初から叶わぬものと、心のどこかで諦めていた。否、必要以上に臆病となっているのであった。
「だははははっ!カノジョがおらずとも、惚れた女の一人くらいはどこぞにおろう。」
葵は耳をそばだて、小紅螺は何かに祈った。
「やだなあ。僕の話はもういいですよ。」「皆さんのお話を聞かせて下さい。」
「オホホッ、そう言う女性がいらっしゃるのね。正直な方ですこと。」
「まあ、ひょっとして、イニシャルはTAかしら?」「いやだわ。ちょっとだけ年上の、元カリスマスーパーモデルの視覚障害者だったりしない?」
「だははははっ!怪しい年増に興味があるわけなかろう。」「若い娘に決まっておるわ。」
「いえ、年上の女性も素敵だと思います。」
「オホホッ、百点満点ですこと。」「でも、今ので年下の方って分かってよ。」
さすがにクールな美玲であった。彼は、たちまち顔を赤らめてしまった。
「もう、恐いなあ。」「さ、皆さん、お勉強を続けましょう。」
「トイレに行ってきます。」
小紅螺は、耳まで赤くしていた。今の話題に変わった時から、二度も続けて彼との視線が重なったのだ。まさかにあり得ない。その判断とは裏腹に、乙女ごころにポッと点火されていた。皆に勘付かれないように、否、小野寺友則に知られないように慌てて教室を出たのである。あのプロポーズ大作戦を目の当たりにして以来、彼女は恋することに憧れてきた。目頭と胸の奥を熱くするうちに、自分もあんな風に誰かから愛されてみたい、そう思い始めていたのだ。その後に現れたのが彼だった。
「じゃあ、好きな女性のタイプは?」「それだけ教えてくれる?」
はぐらかそうとする友則に葵が食い下がった。彼は苦笑いして答えたのだ。
「そうですねえ、物静かで、やさしい人がいいです。」「守って上げたくなるような。」
「もう!」「全部、私のことじゃない。世間が大和撫子って呼んでるの知ってた?」
「だははははっ!全く当てはまっておらぬではないか!?ただの飲んだくれであろう!」
「お酒はたしなむ程度なのよ。素敵な男性といると、すぐに酔って寝ちゃうの。」
「何の誘いじゃ!?」「たわけ者、よだれを垂らす出ない!」
「ねえ、トモくんて呼んでいい?」「私のことは、そうねえ、俺のハニーとか。」「あっ、マイスイートハートでもいいわ。うふっ、トモくんが決めて、試しに耳元で呼んでみてえ。」
「だははははっ!救急車を呼んでやれ!」「いっそのこと、霊柩車でもかまわんぞ!」
稲妻のようなロケットパンチが、離れた場所で安心していた由莉に飛んだ。
「いかん!わしに救急車を呼んでくれ!」「オリオン座とカシオペア座が回っておる!」
ようやく気を落ち着けた小紅螺が、トイレを出て教室へ戻ろうとした時だった。待ち構えていたのか。通路の途中に美玲の姿があった。
「彼、あなたとお話しするときだけ、声のトーンが変わりますのよ。ご存知?」
「え?」
「オホホッ、おせっかいですこと。」「わたくしもお手洗いに行ってきますわ。」
小紅螺の顔が、ゆでダコとなっていた。



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