理由|ぬくもり3-4

 降り立った古い駅の改札には、妹の渚と、沖むらのフロントでマネージャーを任されている石垣悟(イシガキ サトル)が迎えに来ていた。老舗旅館の生き字引とも言うべき老輩で、もちろん凪乃のことは生まれた時から知っている。彼は、その姿を遠巻きに見た瞬間から、唇を噛んで目を赤く染めていた。 しかし、ひなびた田舎の駅は、彼女の登場で様変わりしたのである。乗降客や駅員はもとより、客待ちするタクシーの運転手たちも、道路を隔てた向かいにある土産物屋の店員までもが、その美しさに目をくぎ付けにされていた。まるで、白昼夢を見ているかのように、ぽかんと口をあけて眺め続けていたのである。この地元では知らぬ者のいない美崎渚の容姿がかすんでしまうほど、その美は圧倒的だった。
「…お帰り。」
「お母さん。」
直行した総合病院の大部屋で、凪乃はベッドに横たわる母を見舞った。去年の春に叔父の元を訪ねてきてくれた時以来の、変わり果てた奈津美との再会だった。彼女はその手を握り締めて、一命をとりとめた最愛の母に顔を寄せていった。
「凪乃、母さんを…許して。」「お前を、呼び戻して…しまったわ。」
涙があふれ出した。どんなにつらい思いばかりさせてきたのだろう。ずっと、女手一つで、父の姿が消えた沖むらの看板を守ってきてくれたのだ。凪乃は、胸の裂かれる思いがした。
「いいの。お母さんのせいじゃないもの。」「悪いのは、全部私だから。」
「お姉ちゃんは悪くない。なんにも悪くない。」
渚も、姉の背に張り付いて肩を震わせた。石垣はたまらずに廊下へ飛び出し、上着の袖で目元を覆って、人目もはばからずにすすり泣いたのだ。あの夏の日さえなければ、今も家族4人が、仲睦まじく暮らしていたに違いない。否、皆に慕われていた社長が、可愛い孫たちに囲まれていたかもしれないのだ。もう取り返すことのできない時が、彼の胸をえぐっていた。
「本当に…、本当にいいの?」
凪乃は涙を拭った。
「はい。」
決意のほどは、潤んだ瞳の奥に見ることができた。幼い頃から厳しく育て上げた愛娘なのだ。人一倍努力家で、意思の強さも並大抵ではない。そして何より、沖むらを深く愛していた。
「お姉ちゃん…。」
この町に帰ってくるだけでも、凪乃にとっては大きな試練だった。それがどれほど重い決断なのか。妹は、わがことのように思わずにはいられなかった。あの悲劇もまた、地元の温泉街で知らぬ者はないのだ。今もなお、沖むら以外では興味本位でおもしろおかしく語り継がれている。若女将奮戦記とは程遠い、さらに陰湿で危うい現実が姉を待っているのであった。

 小野寺友則の勤める会社は、高齢者向け宅配サービスで急成長したベンチャー企業だった。お年寄り自身にはネットを使わず、あえて効率の悪い電話での注文を受け付けている。高く評価されているのが、昔懐かしい御用聞きのサービスであった。最寄りのスーパーにある食材から、ホームセンターの日用品に至るまで、欲しいものを具体的に手書きで記入しておけば、午前中に注文用紙を回収して午後には自宅に届けてくれる。高齢者と販売店の双方から、無理のない手数料を受け取る仕組みであった。返品、交換もOKだ。急ぎの場合とか、商品の名前や特徴などが曖昧な場合は、親身な電話対応もしてくれる。苦情や要望も、手応えのある温かい会話での対応なのだ。何回もプッシュボタンを押さなければならない電話窓口や、売り手側の一方的な回答しか返ってこないメールでの問い合せとは雲泥の差だった。気短で、すぐに諦めてしまうお年寄りには何よりそれが心強い。あるようでなかったハートフルなアナログサービスが、孤立しがちで不便な地域に住む高齢者たちの心を掴んでいた。
「ミーティングを始めます。」
この地域の統括事業所で、チーフを務める南条正美(ナンジョウ マサミ)が言った。
「まず、今月の状況を、皆さんから報告して下さい。」
制約の多いシングルマザーでありながら、こうしてキャリアも積み上げた、社内で人望の厚い七つ年上の女性だった。入社したての友則を、我慢強く育ててくれたのも彼女だったのである。今が正に女ざかり。知的で隙のない言動と、アンバランスな色香が同居していた。本当に女性を知らない彼にとっては、憧れと言うより高根の花に思えるのかもしれない。否、彼女の部下でいられることが、今の友則にはこの上もなく幸運に思えていた。
「そうですか。いつもご苦労様です。」「次は小野寺君お願いします。」
「あ、はい。」「今月は…。」
大人の女性の、落ち着いた話し方だった。男心を擽るような小紅螺のか細い声とは全く違う。懐の深い母性愛で包み込んでくれそうな、二人きりならいっそのこと彼女に甘えてみたいと思うほど、おおらかで艶のある声の質であった。
「ほんとに頑張ってますね。皆さんからのアンケートも高評価でした。」
視線が重なっただけでも、今日一日が得した気持ちになれる。この笑顔で褒めてもらうために、朝から晩まで頑張っていると言っても過言ではなかった。彼が、かるがもでボランティアを始めたのも、この南条正美の影響なのだ。彼女の娘の愛美(マナミ)も、生まれながらの全盲の視覚障害者であった。少しでも彼女の役に立ちたい。そう考えて、情報携帯端末のインストラクターとなったのである。知人を介してかるがもからの依頼があった時は、二つ返事で引き受けていた。自ら接することで、見えない人たちが何に困っているのか、どうすればストレスなくサポートして上げられるのか、直に学べる絶好の機会だと考えていた。
「ありがとうございます。」「新規の開拓も、今月は2軒を見込んでいます。」
「まあ、それは素晴らしい。」「でも、強引な勧誘にならないようにお願いしますね。」
「はい、もちろんです。」
その一方で、白原小紅螺のことが気になっているのも確かであった。しかし、友則の目には健常者にしか映らない。彼女がどんな障害をかかえているのか。それをストレートに訊く勇気もタイミングもないまま、複雑な想いだけを募らせていた。



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