伝説|ぬくもり3-9

 まだ神話の時代の、国ができたばかりの頃だった。この地を訪れた若い神が、その清らかな娘を見初めて心を奪われたのだと言う。村人たちは、もたらされた吉報に狂喜乱舞した。娘が天界に召されれば、未来永劫、子々孫々に至るまで、村は災害も疫病も、飢饉や戦の心配すらもいらなくなる。栄耀栄華を極めて、享楽の限りを尽くせるに違いない。彼らは娘の両親を担ぎ出し、飲めや歌えやの酒池肉林を、輿入れの前夜まで昼夜を問わず繰り返したのだ。だが、娘には、心に決めた愛しい人がいた。もはや、働くことも忘れて酔いどれる村人たちの目を逃れて、彼女は、まさにその夜、自ら命を絶とうとしていた若者の元へ駈け込んだのである。二人は、初めて愛し合った。時を忘れ、互いに自分の全てを与え合ったのだ。幸福な想いに包まれ、目覚めた時には、輿入れの朝を迎えていた。白み始めた空が、瞬く間に暗黒の雲に閉ざされていく。凄まじい雷鳴が鳴り響いて、一寸先も分からないほどの豪雨となった。うなりを上げる濁流が、結ばれたばかりの恋人も、両親も、幼い妹も、村人たち諸共に呑み込んでしまったのである。娘もまた、手足を残した奇異な姿で、醜い顔の海蛇に変えられていた。彼女は自ら海中に身を沈め、愛しい人々を捜し続けたのだ。数百年ののち、真っ白な体に老いた巨大な竜が、懐かしいふるさとの浜辺に、想いを果たせぬまま打ち上げられていた。その純愛を貫いたむくろが、名もなき浜の砂を純白に染めたのだと言う。それが、白竜浜の名の由来だった。
「もしかして輪廻転生のことかい?」
「はい。」
仲居頭の初美は、その後の伝説も話し出した。二人の魂が生まれ変わって、再び現世で固く結ばれたと言うのである。何だ、めでたしめでたしの結末かと思いきや、それほど神は寛容ではなかった。めぐり逢った若者と娘の魂は、千にも万にも散り散りに引き裂かれ、二度と互いが分からぬよう、生きとし生ける物の別々の命にばら蒔かれてしまったのだ。
「その一つが、ナニワイバラなのじゃな?」
「はい、その通りです。」
「何とおもしろい。」「創作意欲を掻き立てられるわい。」
「花言葉は、清純な愛です。」
そして、初美は、若女将が招いた二人の客に、伝説をこうむすんだ。数千年の時を経て、神は二人の存在すら忘れてしまっていた。何世代にも渡って輪廻転生を繰り返すうち、しだいにその魂が集まり出したのだと言う。いつの日か必ず、みたび互いを見付け出し、今度こそ本当に添い遂げられると信じられていた。
「遅くなりました。」
「凪乃ちゃん、久しぶりだねえ!」
若女将となった彼女に、正村八重子が満面の笑みを向けていた。凪乃が身を寄せていた叔父の妻が、正村夫婦の長女だったのである。つまりは、二人は親戚の関係であった。
「だははははっ!何と言う美しい女将じゃ!」「天女のようではないか!」
白竜浜を訪れた菊川由莉は、まだ肝心の大広間すら見ていない。
「いいであろう。この依頼、わしが引き受けた!」
画伯の目が、久々にアーティストとしての眩い光を放っていた。

 夢は、見るものであろうか、叶えるものであろうか。それとも、人に語るべきものであろうか。時に、夢はやぶれ、捨てられ、儚くも散っていく。ごくありふれた夢から、途方もない夢まで。人はさまざまに夢を見て、さまざまに葛藤する。夢とは、一体なんだろう。自己実現を目指す道しるべの一種なのか。妄信的な変身願望の一種なのか。もしかしたら、本当はつまらない自分の人生を、自らにごまかすための、詭弁を弄する時の小道具であるのかもしれなかった。だが、夢を失くした者は、心の有様がどこかぎこちない。陽気に振る舞っていても、周りの者たちを明るい気持ちにさせることは決してなかった。そう、夢は持っているだけで人を輝かせるのだ。そして、夢だけは、誰もが等しく持つことを許されていた。
「あ。」
沢田明信(サワダ アキノブ)からのメールが届いたのだ。
「まあ、お返事の早いこと。」
まだ、一度も面識はない。思わず申し込んでいたネットのサークルで、彼はボランティアのインストラクターをしていた。質問を送るたび、丁寧な返信がこうして返ってくるのだ。
「へえ…。」
美玲は、童話の書き方を学んでいた。
「オホホッ、なるほどですわ。」
きっかけは、小野寺の上司の娘が、自分と同じ全盲の視覚障害者だと聞いた時であった。幼子に読み聞かせのできる本が、非常に限られてしまうと言っていたのである。自らの遠い記憶とも、その言葉がオーバーラップしていた。生まれながらに見えない者は、手で触れた経験のある物が基準でなければ、未知の形をイメージすることができない。ましてや色に関しては、概念としてしか知らなかった。空の青さも、海の広さも、山々の連なりも、言葉として理解しているに過ぎないのだ。お話に登場する動物たちの形や大きさも、変わった建物や日常にない風景も、言葉で伝えるしかない読み手の語彙によって、聞く側の想像力が相当に左右されるのであった。絵本であればなおさらだった。見えないわが子に、たくさんのお話を聴かせてやりたい。より多くの感動と、素敵な夢を与えてやりたい。そんな母親たちの当たり前の願いを、叶えてみて上げたくなったのである。自分になら、できるのかもしれない。そう直観した。
「フムフム。」
自分自身が全盲者であることを、美麗は沢田に伝えていた。彼はそのことを踏まえた上で、細かな配慮をしてくれている。何度もメールのやり取りを重ねるうちに、その人となりに好感をいだき、しだいに異性として惹かれていたとしても不思議ではない。彼からのメールが着信するのを、いつしか心待ちするようになっていた。恋愛相談は苦手のはずの彼女が、小紅螺と友則のことに首を突っ込んだのもそのせいなのだ。美玲は、沢田明信に恋をしていた。





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