手応え|ぬくもり3-10

 生きていても仕方がない。佐々木敦夫は、そう考えていた。どうやって死のうか。本気でそれを考え始めていたのである。自殺は、複雑な思考を持つ人間特有の行為であった。ある意味においては、人間らしく生きられなくなった者が、最後に選択する人間らしい尊厳死なのかもしれない。どうにもならない理由があるにせよ、自らのその後を奪うほどの絶望の中にいるのだ。利いたふうな慰めの言葉やお説教など、到底その凝り固まった心には通用しなかった。
「僕にかまわないで下さい。」
ついに、松山俊哉が声をかけたのだ。
「リハビリなんか、絶対しません。」
中学、高校、大学と、プロになることだけを夢見て、つらい体力づくりにも耐えてきた。同年代の若者たちが遊びに夢中でも、脇目も振らずに練習に打ち込んできたのだ。ようやくその努力が日の目を見たはずの、人生初の大きな檜舞台での一瞬の出来事であった。
「運の悪さは、お互い様だ。」
敦夫は目を合わそうともしなかった。
「やってみると、案外楽しいぞ。」
一朝一夕に、赤の他人が心を動かせるわけもない。そんなことは分かっているのだ。否、それこそ逆効果にすらなりかねなかった。それでも、あえて一歩を踏み出したのだ。
「俺たちなんかより、握力があるんだろ?」
あの広岡俊一から、以前にそう聞かされていた。幸いにも、上半身の運動機能は、リハビリすればかなりの回復が見込めるそうなのだ。筋肉が完全に落ちて、贅肉だらけになってからでは時間が倍かかる。如何なる明日が待っているにしても、万全をきしておくべきだった。
「バスケットをやってたそうじゃないか。」
触れられたくないであろう部分に、俊哉は土足で踏み込んでいった。どんな反応をみせるか、心の動きを確かめてみたかったのだ。
「あんたに関係ない!」
やはり激昂した。遠巻きに見ていた大田と西川以外の患者も一斉に注目した。
「ふん!そうだな。俺には関係なかった。」
充分な手応えだったのだ。少なくとも、生きる屍などではなかった。屍なら、腹を立てたりしない。腹を立てると言うことは、その体に、まだ生き生きとした魂が宿っている証拠であった。俊哉は、あっさり引き上げたのである。魂が宿っているなら、可能性がゼロではないと判断していた。もしも彼が、二十数年後の真哉であったなら、焦らず、じっくりと向き合って上げて欲しいだろう。自分でも奇妙に思えるほど、他人に関心をいだくようになっていた。家族以外の、全てを失くしてしまったからであろうか。本当に価値あるものは、もう社会的に価値のない自分と向き合ってくれる人間たちだと気付いたのだ。さして輝かしい職歴でもない大田や西川と仲良くしているのも、彼らが、今の自分を同じ境遇の仲間として受け入れてくれているからだ。今はまだ、互いに心の痛みを分かち合うことしかできない。しかし、やがては障害者として情報共有する間柄にもなって、新たな人生の楽しみ方を教え合う友にもなれると、あの車椅子の貴公子がそう言って笑っていた。自分が他人を大切にしない限り、他人が自分を大切にしてくれるはずがない。松山俊哉は、そんな当たり前のことを、今さらながらようやくあの事故によって知らしめられたのであった。

 オンボロ軽自動車の運転は、板場の若いし、水谷茂が担当していた。助手席に同期の小川直之、後部座席には若い仲居の澤田麗奈と山本茜が、仲良く手を繋いで座っている。彼ら4人は、遊び仲間であった。これから、近隣の町にあるカラオケルームに繰り出して、朝まで遊び回るつもりなのだ。仲居の仕事は午後からだった。客たちの到着前に自らの受け持つ客室を点検し、出迎えからお茶出し、浴衣のサイズ合わせと進んで、夕食の時間や飲み物を確認しながら客からの心付けを受け取る。料理が部屋出しの場合は、それなりの金額が期待できた。風呂のない独身寮で暮らす従業員たちには、仕事後の大浴場の利用が許されているのだ。布団敷はアルバイトの男性が行うので、食事の後片付けが済めば入浴して帰宅する。翌朝は、未明から朝食の準備を行い、その後に食器さえ下げてしまえば2日間の勤務が終了だった。しかし、それはあくまで閑散期での話なのだ。大型連休や夏場、年末年始など、目が回るほど忙しい時期ともなれば、その日の午後から再び勤務に入らなければならない。ブラック企業も真っ青の、文字通り滅茶苦茶なハードワークが待っていた。
「ああ、すげえたまんねえ!」
「もう我慢できねえ!」
共に五歳年上の彼らの遠吠えを、肩を寄せ合う麗奈と茜が楽しそうに聞いている。二人は、駆け出しの茂や直之と交際しているわけではなかった。彼女たちは、LGBTと呼ばれる性的マイノリティーなのだ。お互いがそうであると気付いたのが中学二年の頃で、家族にも知られないように大親友として振る舞ってきた。同じ想いと知った彼らには、異性に興味がないことを宣言して、そのチャンスさえあれば、共通の目的を遂げるためにつるんできたのである。麗奈と茜は、進学校へ進んだ美崎渚に、クラスメイトだった中学の時代から密かに焦がれてきていた。高校を出る時、古いだけの老舗旅館を就職先に選んだのもそのためなのである。
「あの女将さんとやりてえ!」
イントロの間に、声を張り上げていた。
「可愛い渚ちゃんとやりてえ!」
彼ら4人の想いは、大広間に集められた時から倍に膨らんでいた。陰湿な悪意にまみれて、具体的な策を考えているわけではなかった。だからこそ、余計にその想いが募るのだ。だが、闇雲に欲しがる彼らとは違って、麗奈と茜にはある確信があった。あれだけの容姿でありながら、美崎渚には男の噂が一切なかった。交際は元より、デートの目撃談すらもないのだ。もしかしたら、胸の内に秘めた異質な想いがあるのかもしれない。否、きっとそうだ。そうに違いない。バイセクシャル以外のLGBTは、恋愛対象となる相手が極端に限られてくる。軽々に誤解してアプローチすれば。どんな差別や偏見に晒されるか分からないのだ。自然、相手の嗜好を事前に察知する能力に長けてくる。誘い方さえ間違えなければ、必ず渚が落ちると確信していた。あの美しい若女将からも、男の視線を気にする様子が全く感じられないのだ。彼女たちが自信を深めたのも、神秘的で謎めいた美崎凪乃が現れたからであった。
「ねえ、あたしにちょっと考えがあるんだけど。」
「え?何?」
雄たけびを上げて熱唱する二人を横目に、積極的な麗奈が受け身の茜の耳に囁いた。
「どう?」
「いいかも。」「うふふっ、それ絶対にいい。」
貪欲な茜の瞳が、早くも妖しく煌めいた。



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