鬼ヶ島|ぬくもり3-15

 二人は、白竜浜の南に位置する“恋人三が崎”を巡っていた。蛇ケ崎、竜ケ崎、茨岬からなる壮大なスケールの、三つの伝説の岬が連なっているのだ。醜い姿に変えられた娘が身を投じたと伝わる蛇ケ崎と、しだいに竜へと変げした四足の海蛇が身を寄せたと言う竜ケ崎は、荒々しい白波の砕ける断崖絶壁であった。しかし、夏前に一面がナニワイバラの白い花で埋め尽くされる茨岬だけは、両脇を囲む蛇ケ崎と竜ケ崎が防波堤の役割を果たして、波穏やかな入り江の真ん中に、ひっそりと護られるように突き出ていた。
「なるほどのう。」「神の罪滅ぼしのようじゃ。」
広間のデザインを考える前に、由莉が観たいと言ったのだ。
「そうだね。そんな気もするかもな。」
やさしいイケメンの診療所で、すっかり元気になった八重子が応えた。
「伝説じゃあ、この茨岬で再会するらしいねえ。」
「この目で、その瞬間を見てみたいものじゃな。」
古の時代には、竜が空けたと伝えられる無数の洞窟に、天下の大事に何度も関わった水軍の基地が置かれていたらしい。勇猛果敢で、海の上なら向かうところ敵なし。大海原を、我が物顔で駆け回っていた。海賊として戦いに明け暮れた彼らにとって、白竜温泉はまさに自然のご加護であったのだろう。天か統一が為されるまでは、完全な独立を保っていた。
「あれが鬼ヶ島とな。いかにもじゃのう。」
「な。ほんと。見るからに不気味だねえ。」
水軍の守りの要。奇岩城とも呼ぶべき天然の要害が、岬の前方の少し離れた海面に聳え立っていた。再会を遂げた二人はあの島で神に魂を抜かれ、巣食っていた鬼たちに辱められて、最後には食い千切られたと伝えられている。一説には男女ではなくて、見目麗しい生娘二人であったと言うのだ。今は無人の灯台が置かれ、個人の所有地となっている。あの白竜温泉社の社長、海野正孝が、大型クルーザーも停泊する豪華なヨットハウスを建て、地元の者たちは遠ざけながら、よそ者の怪し気な男たちに住まわせていた。
「今でも、ほんに鬼どもが巣食っておるやもしれぬのう。」
「だったら、ぜひ会いたいわ。」「そう言うの、ゾクゾクする。な。」
伝説によれば、運命の二人が三度目に結ばれた時、鬼ヶ島の鬼たちも滅びると言われていた。つまりは、あの奇怪な形をした島に、それまで鬼たちがずっと棲み続けていると言うことではないか。何ら根拠のない非科学的な話であるからこそ、かえって本気で信じてみたくなる。その意味では、芸術家の由莉を強く惹き付けるのであった。森羅万象の本当の姿は、未だつゆほども明らかにされてはいない。神のなせる業には、人智も遠くおよばなかった。
「どうなんだい?」「花以外も浮かんだかい?」
画伯は、ゆっくりうなずいた。
「白い竜が、あの鬼ヶ島で暴れ回っておる。」
「へえ、おもしろいじゃない。それ、な。」
現代に蘇った白竜が、奇岩城に巣食う鬼たちに襲い掛かっているのだ。逃げ惑う邪悪な鬼を、次々に大きな顎でかみ砕いて呑み込んでいる。凄まじい地獄絵図であるはずなのに、彼女の頭には、至極爽快で胸のすくイメージが広がっていた。
「でも、再会したかどうかなんて、どうにも確かめようがないねえ。な。」
「実におもしろい。ますます白竜浜がおもしろうなってきたわ。」
茨岬の先端に立つ二人に、海からの強い潮風が吹き付けていた。だが、その二人を、望遠レンズで極秘に連写している者がいることなど、この時はまだ知る由もなかったのである。

 知世が、実家に帰ったのは、正月に続いて今年二度目だった。もう別れるしかない。そんな想いが、しだいに抑えられなくなってきている。長い春の後から結婚したのは、今から二年近く前の早春を迎えた大安の吉日であった。彼となら幸せになれるだろう。そう信じていた。だが、あっさり裏切られてしまったのだ。相手は、夫の勤める会社に、昨年入社したばかりの新卒の女子社員だった。当然、離婚まで考えた。妻としてのプライドはズタズタにされて、彼が見境のない獣の雄に見えてしまったのである。それでも、必死に謝る姿にほだされて、二度とないことを信じる気になっていった。しかし、それは間違いだった。
「え、そうなの?」
知世の母は顔をしかめた。
「ひどい話だね。」
まさかに、その後も交際を続けていたばかりか、浮気相手の女性が、妊娠してしまったらしいのだ。絶対に中絶しない、出産したら認知してくれと迫られ、青息吐息で彼女に打ち明けたのである。幸か不幸か、知世との間に子供はなかった。子づくりでも敗北宣言させられたような、悔しさとも情けなさとも分からない感情が押し寄せていた。
「そんな人だったのねえ。」
足元に荷物を置いたまま、知世は、ダイニングのテーブルでハンカチを握りしめていた。
「もう、別れたい。」
真帆とは対照的な、今の自分の境遇が恨めしく思えていた。一体、人の運命を分けるものは何なのだろう。親友は、あの事故のお陰で夫婦の絆を手にすることができた。長い春だったとは言え、その分の信頼は自分たちのほうが深いと考えていたのだ。だが、現実は、女として飽きられていた。夫は、浮気した相手の女性を欲してはいるが、とても愛しているとは言えないだろう。そして、自分のことは愛しているのかもしれないが、もはや魅力的な異性として欲してくれてはいない。生まれてくるのは、心から愛した彼の子供なのだ。その子にとっては、自分が妻のままなら邪魔な存在になるはずだった。考えれば考えるほど、別れる以外に道はなかった。自分が身を引くことが、最善の選択肢に思えてきたのだ。
「たぶん。」「同じこと、繰り返すだけだと思う。」
「そうかもしれないねえ。」
母の小野寺広美(オノデラ ヒロミ)が、自らの頬に手を当てて、絞り出すように言った。玄関の開く音がして、弟の友則の声が聞こえた。知世は、涙を拭って、気丈に振る舞おうとしたのだ。しかし、腫れた眼で隠しきれるはずもない。彼は、すぐにそうと気が付いた。
「ごめん。タイミング悪かった?」
「いいの。」「友則に話したかったこともあるから。」
知世は、ようやく彼に、佐々木敦夫のことを伝えることができた。


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