バイク|ぬくもり3-16

 友則は、講義の時間より少し前に来て、山崎菊五郎と真剣に話し込んでいた。知世の話を聴くうち、車椅子の貴公子が、このかるがもの代表であることに思い至ったのだ。佐々木敦夫とは、高校まで一緒だった。親友と呼べるほど深くはないが、ほかの同級生たちとグループを組んで遊んでいたのである。否、部活に打ち込んでいた敦夫が付き合うことは少なくて、どちらかと言えば、勝手に数に入れていただけかもしれない。卒業後は音沙汰なしとなり、進学した大学でも、バスケを続けているらしいと聞いた記憶があるだけだった。それでも、耳にした以上は放っておけない。昔の仲間に呼びかけて、皆で励ましに行くべきなのか。自分たちにも、何かできることはないのか。率直なアドバイスを求めていた。
「そうなんですか。」
「皆で押しかけるのは、かえって追い込むことになると思う。」
松山俊哉の話では、完全に心を閉ざしてしまっている。今は、自分の惨めな姿を知人に見られたくない。そう考えているだろう。励ましの言葉は、人から励ましてほしいと思っている者にのみ有効なのだ。同情されることも、自分がそういう存在に成り下がったと思い知らされるだけだった。山崎は、暫く俊哉に任せてみてはどうかと話した。あの男なら、敦夫の心を開かせるかもしれない。焦りは禁物だと、そう諭したのである。
「え?温泉旅行ですか?」
圭一郎は、この携帯情報端末の勉強会メンバーを中心に、あの白竜浜に旅行することを提案したのだ。例によって。友則の隣には、葵がべったりと張り付いていた。
「そこ、貸し切り風呂とか、あるのかしら?」
「檜づくりの家族風呂が二か所あります。」
小紅螺が、予め沖むらのホームページを調べていた。
「うふふっ、じゃあ、私とトモくんはそこでいいわね。」「楽しみー。」
「ははっ、僕と一緒にですか?」「これでも、一応男なんですけど。」
「大丈夫!全然見えないから!」「あっ、でも、間違っていろいろ触っちゃうかもー。どうしましょう、あんなとこも、そんなとこもよ。いやーん!見えないからわざとじゃないわ。」
「はっ、ははは…。」
「心配しないで。若いんだから、我慢できない時もあるでしょ。この元カリスマスーパーモデルと貸し切りで洗いっこですもの。何かが起きても、二人だけの秘密にしましょうね。」
「はは、貸し切りで洗いっこですか、はははっ…ははっ。」
葵の危ない会話に置き去りにされて、小紅螺はもどかしそうに聴いていた。だが、まさかに美玲も、うっとりとした表情を浮かべて、その旅行話で何かを妄想しながら聴いているのだ。偶然とは恐ろしい。あの童話のインストラクター、沢田明信がその温泉近くのどこかに住んでいるらしいのだ。彼からの返信メールに、時々その名前が登場していた。
「ホーホホホホッ!良くってよ!」「温泉大好きですもの!わたくし絶対行きますわ!」
小紅螺は目を丸くした。こんなに積極的な美玲を初めて見たのだ。自分も負けていられない。どこからか天の声が聞こえて、夢中でその言葉をせいいっぱいに発していた。
「あの、電車の中ですけど!」
にこやかに黙って聴いていた圭一郎と、横にいる山崎が互いの顔を見合わせた。
「小野寺さんの隣の席、私に予約させて下さい!」
一番びっくりしたのは、小紅螺自身であった。それから、慌ててジョークとして受け流した友則も、天と地がひっくり返るほど驚いたのである。それでも、彼女が真顔であることは見逃さなかった。小紅螺も、自分が本気でそれを口にしたことを自覚していた。

 渚が、普段は白竜駅までの往復に使っている自分の大型バイクで、指定された場所まで彼女を迎えに行った。木村碧も、リュックにジーンズ姿で、何度も時計を確かめながら渚を待っていたのだ。渡されたメットを被って、バイクの後ろに跨った。緋色のフルフェイスで、しなやかな肢体にフィットする真黒なジャンプスーツに身を包んだ渚は、颯爽としていて人目には自分の彼氏にしか見えないだろう。碧はその細い腰に手を回して、はにかみながら渚の背に顔を寄せていった。どこに連れていかれるのかも分からぬまま、バイクは南へ向かって海岸線をひた走った。不安には感じなかった。むしろ、見知らぬ場所に強引に連れ去られるのが望みなのだ。そこで、込み上げるこの感情の正体が何なのか確かめてみたかった。二人きりになれるなら、たとえ地の果てでも構わない。そう密かに考えていたのである。
「ここは?」
もはや、アクティブなバイクでしかたどり着けなかった。道なき道を掻き分け、鬱蒼とした草の生い茂る防風林を抜けた先の、土地の者からも忘れられた巨岩の狭間に、その静かな浜辺があった。さざ波が寄せる潮騒しか聴こえない、まさに人から隠された場所なのだ。
「私の秘密のパワースポットなの。」
砂浜の手前でエンジンを止め、渚がフルフェイスを外した時、亜麻色のショートヘアが、低い太陽の光をあびて煌めいた。碧は、その妖しい眼差しにときめいていった。
「すぐに来るから。」
「え?」
二人は波打ち際に歩み寄っていた。
「何かが来るの?」
「来たわ。」
碧は、思わず後退りした。
「嘘でしょ…。」
まさかに、皆が知る大きな甲羅の五倍はあろうか。白亜紀にでも迷い込んだかの如き、自分の目を疑う光景だった。鋭い牙を持つ巨大な白いウミガメが、目の前の海面に現れたのだ。しかも、真っすぐこちらに向かって来る。まるで、渚が呼び出したかのようだった。
「恐がらないでね。オトは、やたらと人を襲ったりしない。」「私の一番の友達なの。」
「オトって、その、名前なの?」
「そうよ。乙姫のオト。」「この子たちは、光の届かない海の底に住んでるの。」
信じ難いことに、渚に触れられるのを悦んでいるようにさえ見えた。
「良かった。あなたのことも、気にいってくれたみたい。」「もっとそばに来て。」
こわごわと伸ばす手を、白い亀の頭に触れさせていった。その刹那、碧は悠久の時を遡り、若者に愛されるその娘の前にいたのだ。夜が明け、雷鳴が轟いた。襲いかかる濁流の余りのリアルさに耐えきれずに、碧はオトからその手を離してしまったのである。
「ごめんなさい。」「でも、やっぱりあなたも見えるんだ。」
それから、渚は彼女をやさしく引き寄せた。妖しい眼差しに見詰められ、碧は体の芯が熱くなるのを感じた。あれは、白竜浜の伝説ではないか。一体、自分に何が起ころうとしているのだ。悪い夢を見ているのかもしれない。そんな想いにも囚われていた。
「私が愛したいのは、残念だけどあなたじゃない。」「分かるでしょ?」
碧はうなずいた。この世のものとは思えないあの美が、彼女の脳裏でもフラッシュバックしたのだ。夢でないなら、自分たちの逃れがたい運命の始まりに違いない。碧はそうも感じた。
「私も…。」「私も、渚ちゃんと同じなの?」
「もしかしたら…。」「碧さんと私は、一心同体なのかもしれない。」
二人は、互いの心を確かめるように、強く体を抱き締め合っていった。しかし、初めての同士を得た歓びに満たされる渚とは違って、碧の心は満たされるどころか乱れていたのだ。本当は、唇を奪って欲しかった。激しく愛されてみたかったのだ。凪乃への愛しさとは異質の、熱くなった体の芯に火が着いてしまい、どんどん収まらなくなっていたのである。美崎渚を独り占めにしたい。その利己的な想いも、碧の中で同時に膨らみ出していた。


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