分身|ぬくもり3-38

 鬼ヶ島に呼び出されたのは、木村碧の取り調べに立ち会った年配の刑事であった。ずらりと組員が囲んだソファで、須藤真一が、乱れた姿態の麗奈を執拗に弄んでいた。すでに薬漬けにされ朦朧としている。それが山本茜の祖父であると、彼女はもう認識できなかった。
「茜は!」「茜は無事なのか!」
何年も前から、金で買われていた。警察内部の情報を漏洩させていたのだ。
「ああ。今のところな。」
「会わせろ!」「いや、会わせてくれ。」
彼だけではない。白竜警察の中には、他にも数名の内通者がいた。
「タレコミしたその女と繋げ。」「孫娘に会わせるのはそれからだ。」
悪鬼の陰謀は、すでに仕上げの段階に入っていた。
「こいつらの指示に従わせればいい。後の手筈は整えてある。」
目の上の瘤、黒岩武雄に対する下剋上であった。彼は、五十嵐十兵衛の動きも、内通者からとうに掴んでいるのだ。偽の情報で機動部隊が突入する頃には、公海上の大型客船に“ブツ”を運び終えている。この島に残した精鋭が、警官隊と銃撃戦を演じて、どさくさまぎれに黒岩の命を奪う計画だった。須藤真一自身は、ブツを運んだ大型クルーザーで逃走する。当然、彼には目もくれない美崎凪乃も、同時に拉致して、クルーザーで連れ去るつもりでいた。
「へへへっ、生意気そうなあの妹は、俺らが頂きます。」
茨岬の闇で、駆け付けた渚の顔と肢体を眺めていた幹部の連中だった。
「看護師ってのも、若い奴らが楽しみにしてます。」
昨夜から、黒岩が不在であった。取引直前の昂りで、又も凪乃との情事にとことん溺れて、いつものホテルでうつつを抜かしているのだろう。明日の朝には、自分の女になっている。取引で得る莫大な資金も、黒岩を失って慌てふためく組織も、そっくりそのまま自分のものになるのであった。この稼業では、食われる側が笑い者となるのだ。隙だらけの今の黒岩なら造作もない。さらには、高慢な秘密警察の裏をかいて、手玉に取ろうという話であった。遺体が司法解剖されても、結果が公表される心配もない。その真犯人は、組織内の黒岩派に知られること無く、闇から闇に葬られるはずだった。
「茜にだけは手を出すな。」「それだけは約束してくれ。」
「だったら、すぐに取り掛かれ。」「ここの連中は飢えてる。もたついてる暇はない。」
冷たく引導を渡された刑事は、さっそく木村碧と連絡をとった。驚くことに、美崎凪乃の名を耳にした途端、碧自身が詳しく聴きたいと言い出したのである。わずか一時間後には、彼女との話がまとまっていた。幸いにも、今日は診療所の休診日であると言う。碧にとっても、お誂え向きの、これ以上はない幸運な誘いに思えたのだ。
「問題ない。直前に基地局をダウンさせておく。」
抜かりのない計画であった。
「分かりました。私に任せて下さい。」
年配刑事の引き合わせた見知らぬ男たちのセリフを、頭から鵜呑みにしているわけではなかった。目付きの悪さが、まともな警察関係者とは思えなかったのだ。だが、彼らの危険な香りこそが、あの憎い邪魔者を渚から引き離してくれる。彼女は、密かにそう解釈していた。狂おしいほどの嫉妬が、碧の判断力を著しく歪めてしまっていたのだ。さっそく、意気揚々と浦島医院へ向かい、彼らの指示通りの下準備を始めたのであった。

 沖むらを飛び出したのは、奈津美に最後の別れを告げて離れに戻った直後であった。このまま帰ってこられないかもしれない。ただならぬ若女将の顔色に、初美も何かを覚悟した。きっと、不測の事態が起きたのだ。やはり彼の携帯は繋がらなかった。
「美崎です!」
満身創痍の危険な状態で、診療所に担ぎ込まれたと言う。碧が開いた医院の扉の奥には、見たことのある組織の男たちが待っていた。案内されるまま、奥へ分けいったのだ。
「今は絶対安静です。」「でも、しきりに女将さんの名前を呼んでました。」
黒岩武雄にもしものことがあれば、もう自分も生きてはいけない。凪乃は、完全に我を忘れていた。彼女が、罠だと気付いたのは、背後から羽交いじめにされ、口元に湿った布を押し当てられた時だった。意識が遠のいてくる。足が支えきれずに、体が崩れ落ちていった。
「やめろ。」「我慢できなくなるぞ。」
力なく介護ベッドに倒れ込んでいた。若い男の一人が、凪乃のスカートを捲って、白い太腿の奥を一斉に皆が覗き込んだのだ。リーダー格の男が、エスカレートするのを怖れて咄嗟に彼らを制したのである。須藤が知れば、ただで済むはずがなかった。
「こっちもOKです。看護師も眠らせました。」
廊下でそう声がした。
「引き上げるぞ。」「お楽しみはそれからだ。」
微塵も拉致の形跡を残さず、男たちはモーターボートに運んでいった。凪乃の携帯で、妹を呼び出すメールも送信したのだ。すぐに取って返して、渚も手に入れるつもりであった。

 彼は、防風林の鬱蒼とした草木を掻き分け、日没前の道なき道を進んでいた。渚のブログで“秘密の浜辺”を見た時、ここではないかと直感したのだ。いてもたってもいられなかった。病院の勤務を早退してまで、無心でこの場所を目指していたのである。幼い頃、確かに訪れた記憶があった。なぜ、鮮明に思い浮かんだのか。どうして、手掛り一つもなくたどり着くことができたのか。その答えも、もうすぐ見つかるような気がしていた。
「ここだ。間違いない。」
黒い巨岩に挟まれた波静かな浜辺であった。
「やっぱり、来たことがある。」
誰かと二人で、何かをしていた。しだいに、それが蘇ってくる。そうなのであった。彼は、目の前の海から現れた。とても怖い顔をした、見たこともない大人であったのだ。違う。そうではない。現れたのは、人間ではなかった。亀田。巨大な白い亀だった。
「あれは。」
康介の目は、あの日の彼の姿を見ていた。
「俺の…。」
青年の、黒岩武雄がそこにいた。
「俺の分身?」「まさか。」
全くの同じ海面辺りで、オトが白い首を上げた。
「嘘だろ。」
真っすぐ彼に向かってくる。思わず後退りしていた。静寂を引き裂くマフラーの音に続いて、背後の林から大型バイクが飛び出したのもその時であった。浜辺の砂を巻き上げ、急反転して間近に止まったのだ。夕陽で煌めく緋色のフルフェイスが、毎夜検索を続けた康介の目に焼き付いていた。ゆっくりと、彼女のメットが外されていく。息を呑む瞬間だった。
「君が、あの…。」
この世のものとは思えない、美崎凪乃と瓜二つの美がそこにあった。
「あたしが。」「美崎渚です。」
二人の視線が重なった刹那に、オトが彼女の真後ろで雄たけびを上げた。
「あなたが、柳生康介ですか?」
人を射刺すような鋭い眼差しではない。凛々しく、精悍な顔の、若者に戻った黒岩武雄が立っていた。否、それは、まぎれもなく康介自身だったのだ。じっと見詰め合う二人の頭上で、またたき出す星々が、運命の出逢いを見守るようにさんざめいていた。
「そういうことだったのか。」
彼らの真の姿は、二人にしか見えなかった。神の目を誤魔化すために、これほどまで用心深く、自分とそっくりの身代わりを、幼い頃から互いに用意していたのである。
「そういうことだったのね。」
全裸となる彼の前で、渚も全てを脱ぎ捨てていた。本当は、木村碧と交わってなどいない。五十嵐十兵衛を呼び寄せたのも、この時をこうして無事に迎えるためだった。もうすぐ始まる“神をも欺くシナリオ”が、遠い昔に、初めてこの浜辺で愛し合った二人を、今度こそ永遠に離れない幸せな恋人同士にしてくれるだろう。白竜浜の伝説が、今、ここに始まった。


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