総会|ぬくもり3-43

 生命。何と不思議な存在であろう。広大な宇宙にぽつんと浮かんだ青い星で、あらん限りの、多種多様な生き物たちが日々のいとなみを繰り返している。生まれ、食し、成長して子孫を残す。争うことも、助け合うことも、特に人類においては、愛し合うことも、憎み合うこともあった。生物学的な生命ではなくて、心を持つ生き物としての生命が正に奇跡だった。心とは、一体何であろう。思考や思想、知性や理性、記憶や意識などと表現された脳の活動とは異なる、さまざまな感情を生み出す機能のことなのだろうか。だとしたら、感情はなんのためにあるのだろう。時に感情は危険をも顧みず、損得を度外視して、前後の見境もなく人を突き動かしていく。時に感情は、嘘や偽りをもたらし、諦めや絶望を伴って、病さえもたらしてしまう。必ずしも、自らを護るためには働かないのだ。心を得た生命は、心を持っているがゆえに生存を脅かされるのであった。心は矛盾だらけなのだ。その矛盾を最大にかかえているのが人間だった。それを上手く表現できるか否かは別として、豊かな感情を持っていることこそが、心を持った生命体、我々人間の証なのかもしれない。
「さあ、抱いてみて。」
千穂は、満面の笑みでそう促した。
「う、うん。そうか。そうするか。」
こわごわと、万作は彼女から受け取った。
「ほら、あなたの孫なのよ。」「ほんとに可愛いでしょ。」
その時であった。真哉が、彼の腕の中で笑ったのだ。
「見たか!」「今、笑ったぞ。俺の顔を見て笑った!」
驚くほど無邪気に喜んでいる。夫婦で真帆のマンションを訪れていた。無理やりに千穂が誘ったわけではない。事件後に二人が解放された時、万作自身が会いたいと言い出したのだ。
「おおっ、また笑ったぞ。」「分かるか。お爺ちゃんだ。お前のお爺ちゃんだぞ。」
込み上げてくる感情が、万作の胸をいっぱいにした。何て愛おしいのだろう。こんなに可愛く感じるとは、夢にも思っていなかった。真哉のためなら何でもできる。そんな現実離れした熱い想いさえ湧き起ってくるのだ。
「お父様、私…。お父様に…。」
「許してもらうのは、俺のほうだ。」
「え?」
「俺が間違っておった。」「真哉を生んでくれて良かった。」
やはり子は鎹か。否、万作の心を導いたのは、もっと複雑な、幾重にも重なる想いであっただろう。無論、まだ何一つも諦めてはいない。社内での大逆転は、十分に狙えると確信しているのだ。ただ、ようやく気が付いたのである。自分が、何のために頂点を目指してきたのか。どうして剛腕と呼ばれてきたのか。その答えが、この時、彼の腕の中にあった。
「そうかそうか。」「お爺ちゃんが好きか。」「そうか。お爺ちゃんも大好きだ。」
田所万作は、本当はずっと求めていた“家族の団欒”を手にしていた。

 新年度を迎えた障害者向けパソコン教室かるがもでは、年度初め恒例の“総会”が行われていた。開催されているのは、やすらぎ会館4階の多目的室で、大勢のメンバーがぎっしりと席を埋め尽くして、議長の第一声が聴こえないほど大騒ぎをしている。久々に皆が顔を合わせ、おしゃべりに夢中だった。何度か声を張る内、やっとのことで総会を開くことができたのだ。議事としては、まず今年度の事業報告、きちんと監査まで入れた会計報告が行われ、それから次年度の事業計画と行事予定と続き、役員の改選、規約改訂、質疑応答などが粛々と進行される。メンバーの会費が主な財源なだけに、こうした組織運営と透明性が公平さを担保するのだ。各種の公的助成を得る上でも、活動内容の記録や総括は必須であった。
「ご異議なしと認めます。」「有難うございました。それでは、これで…。」
お昼は、ちょっと豪華な幕の内を味わった。その後に、午後からの楽しいアトラクションが皆を待っているのだ。これを目当てに総会に出席しているメンバーも少なくはなかった。
「ほんと、一年て早いね。」「今年もすぐに夏がきそうだわ。」
「夏きたりなば、正月も遠からじであろう。」
「え?そんなに早く来年がきちゃうの?」
「再来年がくるのは、もっと早いであろう。わしらもどんどん年を取るわい。」
「やだ、そしたら大台が目の前だわ。」
「だははははっ!いよいよ三桁突入じゃな!」「来年が白寿であったか!?」
白竜のような葵の一撃が、久々に画伯を襲った。
「い、いかん!」「黒いナニワイバラが次々に咲いておる。」
アトラクションも終わって、お開きとなる寸前に、圭一郎が皆に声をかけた。
「新しいメンバーを紹介しよう。」
彼が会場に招き入れたのは、車椅子の男性障害者であった。
「松山俊哉です。」「これから宜しく。」
ちらりと車椅子の貴公子を見て、それから、新メンバーが皆にそう挨拶した。
「あ、何だか若い声じゃない?」「男っぽい声だわ。素敵な人かも。」
いい男を嗅ぎ分ける、否、聴き分ける葵の特技であった。
「うふふ、またおもしろくなりそう。」「これだから元カリスマスーパーモデルって困るわ。どうしてもいい男が勝手に寄ってきちゃうもの。」「やーん!やっぱり葵は罪作りな女ってこと?」「ねえ、この美に気付かないよう、皆で私を隠してくれないかしら。」
「ホーホホホホッ!」「松山さん、アオカビ菌にお気を付けになって!」
葵の左の眉尻がピクピクと二度上がった。
「教室にみえるときは、防毒マスクが必要ですの。」「温泉で増殖して、一段と凶悪になったみたいですわ。」「あ、でも大丈夫。男とアルコールがなければすぐに死滅しますのよ。」
「ははははっのはあ!」「ここはミクロの決死圏?!」それとも今のは未知の素粒子かしら?!「あまりに小さい遠吠えだから聞き逃すとこだったわ!」
小紅螺はもう、口を押えて爆笑していた。
「ははっ、望むところだわ!かかってらっしゃい!」「橘葵が相手になって上げるわ!」
唖然とする俊哉をしり目に、かるがもの新しい一年が、永遠の宿敵二人のバトルで、華々しく豪快に幕を開けたのだ。この先も、人情たっぷりの新たな珍騒動が、強烈メンバーたちを待ち構えているに違いない。それでも彼らは乗り越えていく。気高く、力強く、共に手を取り合って、どんな困難でも立ち向かい、自らの手で明日を切り開く、そんな頼もしい障害者たちなのだ。絶対に差別や偏見にも屈しない。さらなる熱い想いを胸に、世を正すべき革新的な先駆者となっていくだろう。かるがもの戦いは、まだ、始まったばかりであった。

―五年後の白竜浜、夏。―

 待っていた梅雨明けで、真っ白な浜辺は、灼けるような夏一色となっていた。小麦色の肌を見せ付けながら、挑発的な小悪魔たちが熱い視線を浴びている。俄ハンターたちも陽気な優男を気取って、一夜の堕天使を射止めんと、言葉巧みに彼女たちを次々と口説き続けていた。もちろん、無数に開いたパラソルの下は、争奪戦を演じる若者の姿ばかりではない。お弁当やお菓子を広げた家族の笑顔、気の置けない仲間と過ごす人々の笑い声があふれているのだ。五年前のあの大事件など、もはや夢の彼方の出来事であった。
「暑いね。無理はダメよ。」
「うん。もう少しだけにする。」
身重の彼女を気遣う母に、パラソルの下で渚が答えた。
「お弁当食べたら帰るわ。」
「そうしなさい。後は旦那さんに任せたら?」
「うふふっ、でも、たぶん私と一緒に帰ると思う。」
「もう、いつまでもラブラブね。」
奈津美は楽しそうに笑って、海に向かって立ち上がった。
「凪乃、康介さーん!」
声を上げる義母に、孫娘と海にいた彼が手を振って見せた。
「ええ。ラブラブなの。」「もう二度と離れないわ。」「永遠に…彼とは離れない。」
渚は、思い出していた。永久に忘れ得ぬ姉の、やさしく抱き締めてもらった時の胸のぬくもりだ。今も尚、美崎凪乃を深く愛している。その切ない想いも、永遠に消え去ることはないだろう。白竜浜の伝説は、もしかしたら、本当は…。

シーズン3 了

参加型連続ブログ小説「ぬくもり」をご愛読頂き、心より厚く御礼申し上げます。大変に勝手なのですが、シーズン3をもちまして、一旦完結とさせて頂きます。またいつの日か、皆さまの声が聴こえましたら、颯爽とあのメンバーたちが帰ってくるかもしれません。その日まで、いっぱいパワーを蓄積しておきます。どうか、皆様もお元気で。   カズでした。


参加型連続ブログ小説「ぬくもり」シーズン1の第一話はコチラから!

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