炎|ぬくもり3-22

 緞帳の降ろされた、大広間の舞台の上が、菊川由莉のアトリエ兼作業場となった。横幅が8m、高さが3mもの作品に挑むのは、さすがの画伯も初めてなのだ。特注の巨大な用紙は、すでに表装屋に依頼した。だが、彼女のあみだした特殊技法を用いても、描き切れるかどうか、正直なところ、まだやってみなければ分からない。それでも引き受けたのだ。なるほど、菊川由莉の男前の本領発揮であった。高い壁ほど、乗り越えずにはいられ…

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感涙|ぬくもり3-21

 むくつけき男たちの、殺伐としたヨットハウスの一日が終わっていた。夜明かしで島の警戒にあたる数名以外は、ぎっしりと二段ベッドの並んだ地下のタコベヤで、全員が競うように大きな鼾をかいている。彼らのために用意されている娼婦たちも、かなりの酒量を呷って、それぞれの個室で深い眠りに就いていた。黒岩武雄は、三日月形に囲まれた砂浜の照明を落とさせて、独りでその浜の南の端にきたのだ。目の前には、漁火すらない漆…

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無知の知|ぬくもり3-20

 無知の知。全知全能なる神以外は、自らが無知であると知ることで、物事に対する探究心をいだくことができるという、あの哲学者ソクラテスの有名な考え方だ。哲学は、人間とは何か、をとことん追求する学問であった。残念ながら、人は、自らが知識に飢えていると自覚することができない。空腹であれば、所かまわずお腹が鳴る。それが、生命を維持するための本能の働きであるからだ。食べなければ、やがてはやせ衰えて死んでしま…

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